日本キリスト教団 東戸塚教会

2017.08.06「神の憐みのもとに」

Posted on 2017. 8. 8, 牧師: 藤田 穣

聖書 マタイによる福音書9章9~13節

09:09イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 09:10イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 09:11ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 09:12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 09:13『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

平和聖日

今日6日は広島に、9日には長崎に原爆が落とされて72年、今朝、広島では平和記念式典が行われました。今年は被爆者の努力もみのり国連で核兵器禁止条約が多くの国の賛成を経て批准されました。しかし、核兵器保有国、唯一の被爆国日本が、米国の核の傘に在ることを理由に批准しておりません。核兵器保有国における核軍縮、平和への努力を一層進めて頂きたく願う次第です。

日本基督教団では、8月第1週目を平和聖日と定め、平和を祈る日としております。

 先日、NHKラジオ深夜便のインタビューをまとめ「たこころの時代」を読んでいて、作家比企寿美子さんが語った自分の祖父母の三宅速(はやり)医師夫妻の墓碑銘についてが目に留まりました。「ここに三宅速(はやり)とその妻三保が眠る。かれらはともに人類の幸せのために尽くし、ともに人類の過ちの犠牲となって逝った」アルベルト・アインシュタイン とあります。

 あの相対性理論で有名な1921年のノーベル物理学賞受賞者のアインシュタインです。後に、ナチスの時代に米国に亡命、第2次大戦の時、ユダヤ人科学者と共に時のルーズベルト大統領に「ナチス・ドイツの原爆開発に先んじて米国で原爆。原子爆弾を製造してほしい」と進言しました。その結果、米国は、原子爆弾の製造に成功します。それが成功したのは、1945年5月7日、ドイツが連合国に降伏した後でした。これで、科学者たちは、「原爆を国際管理する必要がある」と考えていました。しかし、ナチス・ドイツが倒れ、必要のなくなった筈の原爆が、政治家たちの思惑によって日本との戦争を終わらせる口実で、広島、長崎に投下されました。それは、第2次大戦後の世界の覇権を争うソ連への米国の脅しと言われています。科学者たちの思いは政治の力で無にされた形になりました。

日本に原爆が落とされたとの一報を受けたとき、アインシュタインは、 「O weh!(ああ、なんということだ!)」と漏らしたと伝えられています。

 人類の過ちの犠牲となったと刻まれた墓碑、それは、アインシュタインの素直な気持ちの表われたものでした。

アインシュタインは、1945年8月6日の広島への原子爆弾投下報道に衝撃を受けました。その翌月、9月2日第二次世界大戦終結。アインシュタインは「我々は戦いには勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」と演説しました。原爆投下の後悔から、1955年4月11日、哲学者バートランド・ラッセルとともに核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴える内容のラッセル=アインシュタイン宣言に署名しています。その1週間後、アインシュタインは、腹部動脈瘤破裂のため死去、彼の遺言となった。その3ケ月後の7月、この宣言には湯川秀樹博士を含む当時の1級の科学者11人も加わり、科学者の平和宣言として発表されたのでした。

 さて、この墓碑の主人公である三宅速医師は、二度にわたりドイツに留学した医学博士で当時の胆石症の研究で世界的権威でした。政府の要請で欧米の医療施設を視察し、帰国の途についた1922年、仏のマルセイユから日本行きの船に乗ると、日本での講演に向かうアインシュタイン博士夫妻が乗船してきたのでした。マルセイユを出て暫くすると、エルザ夫人が三宅医師のところにきて、夫の具合が悪いので,診て頂けますかとドイツ語のわかる日本人医師のことを聞いて声をかけたのだそうです。癌を心配してとても心細そうなアインシュタイン博士でしたが、胃炎と分かり、三宅医師の治療で回復、船が神戸に着くまでの間に友情が育まれ、別れ際に、アインシュタイン博士から、お礼に福岡のお宅に伺いたいといわれたのでした。アインシュタイン博士はこの船上で、ノーベル賞受賞を知らされております。そして、約束通り、日本講演ののち、福岡の三宅家で友好を育んだのでした。これらの旅を通じて、博士は大の親日家になりました。

その後、文通をしていましたが、1933年、ナチス政権発足の年、ユダヤ人であるアインシュタイン博士は、身の危険を感じ米国に亡命、音信が途絶えました。1942年、三宅博士は、長崎大学から岡山大学医学部に移り、神戸の芦屋に住んでいましたが、敗戦の年、空襲が激しくなり、岡山に住む息子さんの勧めにより移転、しかし、1945年6月29日未明の岡山大空襲の犠牲になりました。息子さん家族と逃げようとしたのですが、高齢の三宅医師夫妻は、トイレに行きたい、後から行くからと家に戻ったのでした。家族が家に戻って防空壕を開けるとそこに息絶えた夫妻を発見しました。息子さんは、自分が岡山に呼んだばかりに、両親を死なせてしまったという思いを抱き続けたていたそうです。

1947年アインシュタイン博士がプリンストン大学にいることを知った息子さんは、手紙を書き、両親が空襲で亡くなったこと、そして、博士に、両親の墓石に刻む言葉をお願いできたら、両親はいかばかりか喜び、永眠することができるかと思うと書き送ったのでした。アインシュタイン博士は、即座に追悼文を送ってくださったそうです。それが、先に話した墓碑銘になりました。アインシュタイン博士も自分が大統領に進言したばかりに、敬愛する国、日本に原爆を落とされたという辛い思いを持ち続けていた訳です。

すべての人に重く、つらい思いを残すのが戦争だと思います。比企寿美子さんは、語ってインタビューを終えております。                           

 インタビュー アインシュタインと祖父の友情 比企寿美子 より引用 

参考 アインシュタインの墓碑銘 

 ユネスコ憲章の前文(1946年)があります。

この憲章の当事国政府は、この国民に代わって次のとおり宣言する。戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

 私たち一人一人が、平和に対する強い決意を持たねばなりません。

 今日与えられた聖書箇所に移ります。

徴税人マタイ

イエスは、拠点としていたカファルナウムの町に帰って来られました。4人の友人に連れられてこられた中風の人を癒した後、町を歩いていると収税所にマタイが座っているのをご覧になった。

マタイ福音書ではマタイですが、マルコ福音書、ルカ福音書ではレビです。同一人かどうかの議論が古くからなされています。共通なのは、マタイもレビも徴税人、税金取りということです。このマタイが後に、このマタイ福音書を著したという説もありますが、確かではありません。

収税所というのは、今の税務署と同じようなものです。

日本でヒットした映画には、「マルサの女」といった特別に税金を取り立てる査察官の姿が描かれています。わたしも会社で働いていたときに、何年かに一度、国税庁の税務調査を受けることがありました。税金を適正に納めているか、伝票や帳簿を調べるため、会社の一室を借りて、何ケ月も細かく調査するのです。私たちのところでも試作品などの在庫が、課税対象となる資産か、研究費用即ち経費かの判断、そのせめぎあいが良くありました。適正に税金の申告をしていても調査を受ける身には余り気分の良いものではありません。

イエスさまの時代、ユダヤは、ローマ帝国の属州になっておりましたから、ローマ帝国に税金を納めるのです。その税金を取り立てるのが徴税人です。

税金には、地税…今でいえば土地に架かる固定資産税ですが、地税は、収穫した穀物の1/10、果物の1/5を現金か、現物で治める。所得税は、収入の1%、市民税…今の住民税14歳から65歳までの男子、12歳から65歳までの女性が支払う者であったという。このほかにも、輸入品、輸出品に、2.5%~12.5%の関税が課せられ、主要な道路や橋の通行税、町に入るための入場税、売買する品物に課せられる物品税などがあった。これらの税金を徴収するために、その土地のユダヤ人が徴用された。これらの徴税人は、人々から嫌われていました。彼らは、宿敵ローマのために働いているばかりでなく、不正に余計に税金を取り立てて私腹を肥やす者も少なくなかったのでした。

 何の理由も語らず、イエスは、マタイに「わたしに従いなさい」と声をかけました。すると、彼は、直ちに立ってイエスに従ったのでした。ルカ福音書では、何もかも捨てて従ったとあります。先ほど挙げたように、この徴税人マタイも少なからず財産をもっていたでありましょう。彼が、その職を捨ててイエスに従うことは傍目に見ても、困難なことだったでしょう。そして、マタイたち、徴税人を観るユダヤ人たちの目は厳しかったのです。イエスが、マタイを弟子として召した出来事は、どれほどショッキングなことであったでしょう?

 マタイは自分の新たな門出を祝うために祝宴を開き、イエスやその弟子たちを招待した。多くの徴税人や罪人たちが税金取りも列席し祝宴が開かれた。それは、後にルカ福音書19章で、イエスが徴税人ザアカイに「今夜あなたの家に泊まろう」といったとき、ザアカイは、喜んでイエスに言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」

 しかし、このマタイ福音書には、マタイの消息が語られていない。推測するしかないが、マタイとイエスの出会いはこの時が最初ではなかったであろう。イエスは、このカファルナウムを拠点にしていたのだから、マタイは秘かに群衆の中でイエスの教えを聞いて、心動かされていたのではないだろうか。マタイの心は、皆に嫌われ罪人といわれる、恥ずかしい生活を離れ、再出発できることが可能か、考えていたのであろう。彼は、物質的に多くのものを捨てることにより、精神的には大いに満たされたに違いない。マタイ…神の賜物 彼は、イエスに従うことにおいて、本来の名前を取り戻したのである。このように回心の喜びが、マタイの祝宴として現れたのであろう。

 

 徴税人や罪人と食事をするとは

 11節 これを見たファリサイ派の人々は、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 ここでいう罪人とは、犯罪を犯した者たちではない。①不道徳な生活をしている遊女、売春婦 ② 徴税人(税金取り) ③ 異邦人 ④ 律法を守らない者 地の民(アム・ハレツ) 要するに、律法を守らない人たちがそういわれた。ファリサイ派の人々によれば、1/10税、割礼、安息日、食前の清めの禊を守らないことを重大な罪とした。徴税人は、特定の個人がどうであろうと罪人とされた。ファリサイ派の人々は、自分たちが清く、彼らを穢れた者として、彼らの家に入らず、彼らと共に食事をせず、交際をしなかった。

 ファリサイ派の人々は、イエスが、聖書を教えている身にも関わらず、何故、罪人の家、徴税人の家に入り、彼らと食事を共にするのか。由々しきことではないか。それは、彼らにとって、道徳の問題であり、信仰の問題であった。

あなたがたの先生は、正しい先生とは考えられない。と弟子たちに告げます。

これに対し、13節 イエスは、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と言われた。

この言葉は、ファリサイ派の人々を丈夫な人と称している。当時のユダヤ人たちは、ファリサイ派の人々の神に対する熱心な姿、態度を祝福すべきことと考えていた。彼らを丈夫な人、正しい人と考えていた。

 しかし、この祝福の裏に、ファリサイ派の人々は、自らを義人として、罪人たちへの憐みを忘れた姿が示される。

 私が求めるのは、憐みであって、いけにえではない。ホセア書6章6節の言葉が引用される。「わたしが喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない。」

 旧約の宗教の特徴は、その罪に対する宥めの宗教である。ユダヤ教は、いけにえによって罪を宥めている宗教です。 これに対し、イエスは、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とは、その言葉だけではない。  

イエスの十字架の犠牲がそこに影を落としている。イエスご自身が屠られて十字架にいけにえとして捧げられ、罪人を救うという出来事が示される。イエスの犠牲において、いけにえをささげ、その罪のなだめとする時代はおわったのである。今や新しい時代が始まる。イエスと共にあることにおいて、いけにえの要らない時代がはじまったのだ。

 いけにえというのは、多くの人たちが持つ考えである。何か、罪深いことをしたら償いをしなければならない。なにかをしなければならない。

 引用されたホセアは、イスラエル北王国の預言者でしたが、妻ゴメルの裏切りという苦い経験をした。裏切られ、とても愛しえないその妻を主は愛せよと命じられた。ホセアは、それに従ったが、妻は、夫と子供を捨てて他の男に走り、挙句の果てに身を持ち崩し、奴隷にまで落ちぶれた妻を代価を払って買い戻しにゆくのである。

 それは、神に選ばれたイスラエルの民との関係に類似している。主なる神を捨て、バアルの神に走るイスラエル、立ち帰れと叫ぶ、預言者を通して叫ぶ神の姿を見る。

 神は、預言者ホセアを通して、「 ああ、エフライム(イスラエル)よ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか。…わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる。 わたしは、もはや怒りに燃えることなく、エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。(ホセア書11章8~9節)

 神の不滅の愛と、神は、イスラエルがその罪によって滅びることを不本意であることを呼びかけたのです。

憐みとは愛である。ホセア書の憐れみと訳された言葉はヘセドというヘブライ語である。慈しみ、憐みの意味を持つ。そして、ホセア自身の愛を考えるならば、不動の愛である。ホセアは、ゴメルとの結婚に際し、「 わたしは、あなたととこしえの契りを結ぶ。即ち、わたしは、正義と公平をと、慈しみ憐れみとをもっ契りを結ぶ」(ホセア書2章21節)とあります。

 この憐みが、ギリシャ語に訳されたとき、アガペー「神の愛」と訳されました。それは、愛せない、愛する価値のない者を愛する愛。イエスによって示された神の愛です。罪人をも赦し、救いに招かれる神の愛です。

 奴隷となった妻を買い戻しに行くホセアの姿に、罪深い人類を贖うために十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうイエスの姿が重なってみえる。

13節「わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

 北森嘉蔵先生は、これに匹敵するのは、親鸞の悪人正機(しょうき)の言葉であろう。「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人おや」というのが画期的な言葉です。「わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 義人、正しい人は救われるが罪人は救われない、これが世の常識です。これまでの多くの注解者は、これはファリサイ派の人々、律法学者に対するイエスの皮肉である。この義人がファリサイ派の人々律法学者を意味しているとすれば、この言葉、義人とは、偽善者のことであると解釈するのです。 次の罪人を招くためである。この罪人は、自分の罪を自覚して、悔い改めて、謙遜になった人間のことを言っていると解釈します。しかし、この解釈では、偽善者は大嫌い、謙遜な人が好きだということになってしまいます。

 イエスが仰っているのは、あなたがたが好きだと思っている者を救おうとは思っていないのです。あなたがたが嫌だ嫌だと思っている者が自分の相手だと仰るのです。これが文字通りにとった場合の解釈です。だから革命的であり、救いがあるのです。

私たち、すべての人間は、神の憐みの許にしか、在りえない、生きえないことをわきまえ知らねばなりません。