日本キリスト教団 東戸塚教会

2017.12.31「すべての人の救い主」

Posted on 2018. 1. 5, 牧師: 藤田 穣

聖書 マタイによる福音書2章1~12節
 02:01イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 02:02言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 02:03これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 02:04王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 02:05彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 02:06『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 02:07そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 02:08そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 02:09彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 02:10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 02:11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 02:12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

アマールと夜の訪問者
今日の聖書箇所は、公現日・顕現日(1月6日)に読まれる箇所である。
公現日とは、イエスの誕生が公にされた日、しかも、異邦人の学者たちにまであまねくその誕生を祝われた日です。すべての人の救い主の誕生が公示されたのです。イエスが生まれてから12日目となります。ロシア正教では、今でも、1月6日を中心にクリスマスが祝われております。

20世紀の米国の作曲家メノッティの作品に「アマールと夜の訪問者」という小さなオペラがあります。
アマールはお母さんと二人暮らしで貧乏でした。そのうえ、アマールは足が不自由で杖なしに歩くことはできません。ある夜、宝の箱を持った3人の旅人が一晩泊めてくださいと訪ねてきました。3人の旅人がぐっすり眠っているときに泥棒が入りました。
「だれだ!」 それは何とアマールのお母さんでした。「お許しください。この宝のほんの一部でもあれば、アマールの足を治してやることが出来るとおもったのです。」旅人は云いました。「私たちは星の知らせで救い主がお生まれになったことを知ったのです。私たちはこの宝物をその救い主に捧げにゆくところなのです。」
 アマールは言いました。「救い主がお生まれになったって!母さん、ぼくも一緒に捧げものをしに行きたい。」「うちにささげるものなんて、何もないよ。」「母さん、僕の杖があるよ」「それをささげてしまったら、
これからどうやって歩くの」「だってこれが僕の僕の一番大切なものだから、僕はこれを捧げるんだ」そう言ってアマールは、杖を両手で掲げて束人たちの方へ近づいてゆきました。その時、母さんが叫びました。
「あっ、アマールが歩いている!」不思議なことにアマールが杖をささげると決心した瞬間から、杖なしで歩けるようになったのでした。アマールは、3人の旅人と一緒に、救い主に杖をささげに行きました。
「マタイ福音書を読もう」松本敏之著より 引用
(邦訳 「ベツレヘムの道」 いっしきよしこ)

星の出現
古来、人類は、空の星の動きの変化を見て、未来を予測できると考え、天文学が発達しました。星の運行の変化と地上に起こる事件と関係があると考えました。この占星術は、バビロニアに起こり、王や国家の運命を占うのに用いられました。そして、偉大な人物の誕生に星が関係していると考えられていました。旧約聖書の民数記にあるバラムの託宣(預言)に、「ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり…イスラエルは力を示す。 ヤコブから支配する者が出て」(民数記24章17~19節)とある。
空に昇りゆく輝く星が現れたとき、ユダヤの東バビロンの占星術の学者たちは、それを見て行動を起こします。それは、今まで見たこともない不思議に輝く新しい星でした。彼らは文献を調べて、救い主の誕生の時、このような不思議な星が出現することを、旧約聖書の中に発見したのです。
東の国の占星術の学者たちは、この星を頼りにユダヤの国に行けば、救い主を拝めると考え、旅にでたのでした。学者たちとありますが、俗説では、なぜか3人になっており、それぞれカスパール、メルキオール、バルタザールという名前さえ与えられ、当時知られた3大陸、ヨーロッパ、アジア、アフリカを代表する者とされ、また、この3人は、それぞれ老人、壮年、青年としても絵に描かれたりしています。
何故、3人になったのか。彼らのイエスへの贈物が黄金・乳香・没薬の3つだったことに由来すると考えられます。

ヘロデの王宮にて
新しい王、救い主が生まれると聞けば、普通は王宮を考えます。彼らは、エルサレムに着くとユダヤの王ヘロデの宮殿を訪ねました。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
ヘロデ王は猜疑心の強い男です。そのために自分の息子や妻たちを殺しています。彼は、ローマ皇帝に取り入って、ユダヤの王として統治を委託されたのでした。自分の力で王になったのではありませんでした。しかも、彼はエドムの出身でした。エドムとは、創世記に出てくるヤコブの兄エサウの子孫たちのことで、死海の南に住んでいました。後のダビデ王の時代にイスラエルの属国となり、ヘロデ王の前のハスモン王朝によってユダヤ教化された民族でした。アブラハム、ヤコブの子孫として純血を重んじるユダヤ人からは、エドム人は、軽く見られていました。そのことに引け目を持つヘロデは、自分地位を確立、正当化するためにハスモン家の王女マリアンネを王妃として迎えております。
ユダヤ人の王としてお生まれになった方、この言葉に、ヘロデは、不安を抱いたとしても不思議ではありません。
ヘロデ自身は、王として生まれたのではなく、ローマ皇帝の傀儡であり、自身の地位を保つために汲々としていたからです。
さらに、エルサレムの人々も皆、ヘロデと同様に不安を覚えたとあります。ユダヤ人たちの待ち望んでいた王、救い主が生まれたのに…。ヘロデ王の不安は分かりますが、エルサレムの不安は一体なにか。ヘロデ王は独裁者で、強権政治、恐怖政治を行っていました。人々は彼を恐れていました。原文の直訳は、「エルサレムの人々は皆ヘロデと共にいた」です。独裁国家の中では、権力者も国民も一緒なのです。ヘロデとエルサレムの人々は目に見える立場は異なります。しかし、内実は同じです。新しい王が出てきたら、自分たちの地位がどうなるか分からない。そういう不安に包まれても不思議ではありません。メシアを待望しつつその出現を恐れている。人間が現在の立場を手放すことは大変なことです。現状に安住する人間の性を思います。
北朝鮮の独裁者金正恩とその民衆のことを考えさせられます。

 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者ミカがこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』(ミカ書5章1節) 聖書に明るい祭司長律法学者たちは、即座にベツレヘムと答えたのでした。しかし、彼らは立ち上がることさえしません。彼らもヘロデ政権を支える側であり、その地位を手放したくなかったのかもしれません。

 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出したのです。しかし、ヘロデの心の中は異なります。後に博士たちが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢のお告げにより、エルサレムには寄らず、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った後、ヘロデは、誕生した救い主を殺そうと血眼になっていました。13節以下、 御使いが、「ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」と、 ヨセフに告げると、彼は、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこに滞在したのでした。
 16節以下、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒りました。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。とあります。ヘロデ王は、救い主の誕生を知らせてくれたら、私も行ってその子を拝もうではなく、自分の地位を脅かすかも知れない幼子を「殺そう」と考えていたのです。

 幼子を拝する
 さて、学者たちが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(9~11節)
 輝く星は再び現れたのでしょう。幼子イエスのおられる家畜小屋の上で輝く星はとまったのでした。天文学では考えられない展開です。学者たちは、心からその星を見て喜びに溢れたのでした。彼らは、ついに母マリアに抱かれているイエスにお会いできたのです。彼らの長い苦しい探索の旅は終わりました。
 学者たちは、自分の持ってきた宝の箱から黄金、乳香、没薬を贈り物として幼子に献げたのです。7世紀ごろから、黄金はメルキオール 王権の象徴、青年の姿の賢者、バルタザール 乳香 神性の象徴、壮年の姿の賢者、没薬 カスパール 受難の詩の象徴、老人の賢者 として名付けられましたが、その意味は確認できておりません。

 この占星術の学者たちの姿から信仰についての示唆を与えられたいと思います。
第1に、学者たちは、救い主を求めて会い出かけました。自分の求道、信仰について他人任せではなりません。自分から求めて聖書を読み、祈り、礼拝に出席して真摯に求めなければなりません。求めて行動することにおいてイエスに出会い、喜びに溢れた博士たちに倣いたいものです。
 第2に、イエス・キリストを救い主としてひれ伏し、心から礼拝することです。学者たちが生まれて間もない幼子にひれ伏して礼拝したときに心から喜びを感じたのでした。幼子を救い主として拝するとき、自分を支配していた一切から解放されたのでした。
 第3に、博士たちは、宝の箱から、自分の大切な宝物を献げました。この宝の箱は、旅人が必要な物を入れて携帯する背嚢と訳した方が良いという説があります。また、占星術者の商売道具とも言われます。
いずれにしても彼らは、自分にかけがえのないものを手放し、献げたのです。それは、この王・救い主に対する服従の証であり、従属の印です。このように自分の宝箱を開けて差出し、献げるとき、主イエスの救いが私たちのなかに入ってくださるのです。あのアマールが杖を投げ出したとき、主の許に歩き出したのと同じです。そこには、己の心を開き、己の宝を捨てて、救い主イエスにすべてをささげる姿がありました。
 わたしたちは、何を捨て、何を開放され、何を献げ、何を根拠に生きているのでしょうか?そのことが問われます。