日本キリスト教団 東戸塚教会

2017.6.11「ノアの箱舟」

Posted on 2017. 6. 11, 牧師: 藤田 穣

聖書 創世記7章1~24節

 07:01主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。 07:02あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。 07:03空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。 07:04七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」 07:05ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。 07:06ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。 07:07ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。 07:08清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、 07:09二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。 07:10七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。 07:11ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。 07:12雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、 07:13まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。 07:14彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、 07:15命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。 07:16神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。 07:17洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。07:18水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。 07:19水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。 07:20水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った。 07:21地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。 07:22乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。 07:23地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。 07:24水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。

花の日・こどもの日

今日は、教会の暦で花の日・こどもの日です。

今朝、私たちの教会は、お花や歌やマジックを携えて、近くのお年寄りの施設、ラヴィーレ緑園都市を訪問しました。昨年に続き、2年目になります。花の日、子どもの日の起源は、アメリカにあります。150年ほど前のお話です。1856年、アメリカのマサチューセッツ州チュルシイ市にあるメソジスト教会の牧師が、6月の日曜日に特別のプログラムを作り、子ども中心の集会を行ったのがはじまりです。1866年には、アメリカ中のメソジスト教会が6月第2日曜日を「子どもの日」として教会行事に加えることにしました。同時に、一年中で最も多くの花の咲く季節でしたから、信者は各々花を持ち寄って教会堂を飾り、礼拝後、その花を子どもたちに持たせて病院を訪問させ、病人を見舞い、また警察(派出所)や各社会施設を慰問したのでした。

私たちの教会も、40年ほど前に教会に子どもの多い時代、花を持って、子どもたちと一緒に交番や戸塚の大踏切(当時、開かずの踏切として有名であった)の踏切番や病院を訪問しました。その後、養護老人施設・名瀬ホームが港南区に移転する1昨年までの35年にわたり、お花と歌とゲームなどをプレゼントに訪問しました。

今日は、その花の日、こどもの日・子どもと大人の礼拝が重なりました。

 

私たちは、先月のこの時間に、神さまが天地を造り、植物や生き物を造りこの世界を治めるために私たち、人間を造られたことを学びました。

しかし、この世界に人間が増えるにつれ問題が起こりました。人々は、神さまの望む良いことを忘れ、わがままで、喧嘩をし、うそをつき、自分勝手に暮らし始めました。人々は、争うようになり、殺人さえ起こすようになりました。悪いことがどんどん増えてゆきます。人殺し、嘘つき、憎しみや争い、人間が考えることは、すべて悪いことばかりのように思われました。神さまは、人間を造ったことを後悔しました。

この地上から、わたしの創り出した人間を拭い去ってしまおう。人間だけでなく、鳥や獣までも、滅ぼし、もう一度、新しくやり直そう。そう決心しました。多くの悪い人間のなかで、神さまの言いつけを守っていたのが、ノアとノアの家族でした。

神さまは、ノアのところに行って言いました。「ノアよ、わたしの云うことを善く聴きなさい。わたしは、すべての人間を滅ぼすことにした。お前たち家族だけが>残って、人間の新しい先祖になって欲しい。

間もなく、わたしはすごい洪水を起こす。お前は大きな箱舟を造り、それに乗り込みなさい。一年分の食べ物を用意し、それに、お前の家族と、鳥や獣一つがいを乗せなさい」

神さまは、その箱舟の造り方まで教えられました。長さが150m、幅が25m、高さ15mで3階建ての屋根のついた大きな箱舟です。今の舟でいえば、4万トンの大きさだそうです。

ノアが木でおおきな箱舟を造り始めると、近所の人たちは笑いました。「ノアさん、そんな大きな舟を造って、一体、どうするんだね。この辺には、そんな大きな舟を浮かべる海も川もない。こんないい天気に何をしてるんだ」

しかし、何と言われてもノアは神さまの言いつけを守って、箱舟を造り続けました。ノアとその家族は近所の人たちから変人扱いされても、神さまを信じて、舟を造り続けました。とうとう舟の内も外も、アスファルトで塗り固められた大きな箱舟が完成しました。神さまが「7日の後には、大雨が降りだして40日40夜続く。さあ、家族や動物たちを連れて箱舟に乗り移りなさい」とお告げになりました。

ノアたちは、地上のすべての鳥や獣一つがいを捕まえて舟のなかに入れ、それが済むと、ノアとその妻、息子たち夫婦を連れて舟に入り、入り口を閉ざし、アスファルトで塗り固めました。

すると、天空の底が抜けたように、猛烈な雨が降り出しました。雨は神さまが予告した通り、40日40夜降り続きました、人も獣も争って高い山に逃れましたが,皆、水に溺れて命を落としました。

ノアの箱舟だけがぽっかり水に浮かんでびくともしませんでした。水はどんどん増えて、高い山も水の底に沈みました。獣も鳥も流されて死んでしまいました。見渡す限りただ一面、荒れ狂う水で、青い木の葉一枚もみえませんでした。雨は40日40夜降り続いて止みました。

6章9節に、「ノアは、正しい人であって、その時代に遭っても、全き人であった。ノアは神と共に歩んだ」とあります。ノアは、周りの人から笑われても神さまのお言葉に従いました。そして、箱舟を造り、家族と共に、舟に乗り込んで大洪水から助かりました。私たちも、ノアさんのように、神さまのお言葉を信じて従う人になりましょう。

                      (子どもの礼拝 終わり)

3~4のことに言及しよう

神の決断

 6章5節以下 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」 しかし、ノアは主の好意を得た。

あまりにも地上に悪がはびこり、暴虐が地に満ちたので、神は人を造ったことを後悔し、心を痛められた。神が悔いて、心を痛める。この神はひどく人間的である。人間のように、この地上の事柄に心を痛められる人間に近しい神といえる。低きに降りて来られて、地上世界の人間の行動を逐一見ておられたのであろう。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。(8章21節)

善を行い、罪を犯さない正しい人は世にいない。伝道の書7章20節)、パウロも言う。「7:18 わたしは、自分の内には、…善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。」(ローマ書7章18~19節) 人間を、神が造られた諸々のものを根絶やしに滅ぼそうと決断しました。しかし、その中でノアだけが神の好意を得たのです。J資料では、ノアの正しさが理由になってはいません。ノアが選ばれたのは、神さまの恵みによるものです。聖書の中のノアは、最後まで無言です。

 この悪や暴虐に満ちた「その世代の中で、ノアは神に従う無垢な(正しい)人であった。ノアは神と共に歩んだ。」

 ノアは、すべて神が命じられたように行った。ノアは神さまに従順であった。神の恵みに対する従順は、信仰である。これは、祭司資料から来ている。祭司資料とJ資料が混在している。二つの資料で、神がノアに洪水を告げる時期が異なるのです。祭司資料では、06:13以下、神はノアに言われた。「…見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。…見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。

 これに対し、J資料・ヤハヴィストでは、ノアが箱舟を造った後に洪水の計画が知らされている。7章1節以下、主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。…七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」 とある。 

このJ資料の理解、洪水の計画を知らずに、箱舟を造っていたのである。この方が聖書の真理に即しているといえよう。人間は悪かったのである。

人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。(8章21節) 人の悪を見て、神は悔い、心を痛め、人の滅びを決断せざるを得なかった。神の人の創造は失敗だったのか?神はご自分より少し低く人間を造られた。動物にない人間に与えられている能力は、善悪を知る知恵であり、神を信じることも、信じないことも自由に意志できることだ。神は人間を造られた時も良しとされたのだから、人間が善の道を歩み、神を信じ、神と親しく交わることを期待していたのだろう。人間は、その期待を裏切ったのだ。

神は、「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」(8章21節)と思い知らされた。

心を痛めたとありますが、北森嘉造先生は、神の怒りと愛の結びつきの表現を痛さと云っておれます。神が愛をもって世界を創造したのに、この神の愛に背いた人間に対する神の怒りなのです。怒りは裏切られた愛につける名称なのです。 この結果、人間をその存在を抹殺したいと根絶やしにしたいと考えたのです。 でも、神の怒りは中途半端です。滅ぼし尽くしていないのです。ノアとその家族だけが除外されています。かれらも、中途半端な故に、ノアとその家族は生き残るのです。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。(8章21節)」この例外ではありません。

ノアの洪水は、神の忍耐の結果なのです。パウロは、ローマ書3章25節、「今まで犯された罪を神は忍耐をもって見逃しておられた」と述べております。神は、ノアに対し、「あなたは正しいから」などと言っておりません。

ただ、「箱舟を造れ」とだけ命じられているのです。

ノアの選びは、そのような裁きの時にもなお、残りのものを選び、救わんとする神の愛、恵みを語っているのです。旧約聖書にしばしば見られる「残りの者」の記事は、旧約の神の強い忍耐のなかにおかれているのです。イエス・キリストの十字架の贖いまでは、怒るべき罰するべき人間を愛するという赦しは出て来ません。

 大洪水

 洪水が地上に起こった。 7章11節以下、ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。

 ここには、創世記の書かれた時代の宇宙観が反映されている。この当時、この青い空が盤になっており、その上に水が一杯蓄えてあると思われておりました。また、下の地上には、海があり、必要に応じて、天の窓が開かれて、そこから雨が降ると考えられていた。創世記の最初に、神が水と水を分けたとありますが、これは、神が上の水と下の水を分けたというのです。上の水も下の水も神の治めるところにあるのです。 そして、この11節には深淵の源がことごとく裂けとあります。管理している水の栓が抜け放たれたのです。雨が無制限に降り始めた。また、海の方にも源があって、その栓が抜かれたということです。空の上からも、海からも水があふれ出る状態になってしまった。バケツの底が抜けて秩序が崩壊したのです。

 河川は溢れ、海は盛り上がり、すべてが闇と濁流の中に呑み込まれてしまった。天地創造の前の混沌の状態に戻ったような状態でした。地は混沌であり、闇が淵のおもてにあった。(創世記1章2節)であります。

 ここに神さまの意思が働いている、人間の罪がそのように導いたのです。

 この洪水のために、神さまはノアに箱舟を用意するように言われました。この箱舟は、洪水を避ける方策ではありません。洪水の中で生きる方策です。そこには、神とのつながりがあります。このような混乱、嵐の中でも生きる方策を神が与えるのです。

 洪水が来て、箱舟は浮かびます。操縦する舵もありませんから、濁流の流れのなすままです。しかし、この洪水の背後には、神さまがおられます。ただ、荒れ狂っているのではありません。

 この箱舟の扉を閉じたのは神様でした。(7章16節)、主は、ノアの後ろで、最後の動物が入った時に戸を閉ざされたのです。ノアが外に出て行って扉を閉めることはできない。

象徴的なことです。人間は、自分の歩いた後の扉を閉じることが出来ないのです。開け放しです。その扉を、水が浸入しないように神さまが閉ざしてくださるのです。私たちの背後にはいろいろな足跡が残されている。恥ずべきこともあり、罪深いこともある。けれども、その背後の扉を神が閉じてくださる。だから水は侵入しないし、沈まないのです。私達の背後には、神の子イエスの罪の赦しの十字架が立っているからです。

 この後も、洪水は押し寄せてきます。しかし、その中で信仰によって生きるのです。そのときに、背後に居られる神さまを知るのです。その中で、神の恵みを知るのです。主イエスが私たち共にいてくださることを知るのです。

箱舟とは、

箱舟は神の命令によって造られました。ノアが考案したのではありません。ノアを救おうとする神の御心によるものでした。(6章14節) 箱舟が救いにつながるというのが、神がノアに約束されたことでした。神が箱舟を救いの器として用いられたのでした。

1970末~80年代、イエスの方舟事件がありました。聖書を研究する宗教団体「イエスの方舟」の教祖千石イエスの(千石剛賢…せんごく たけよし)許に、入信した女性信者が家出してきて、共同生活を始め、家族から捜索願が出されました。娘を返せと大問題になり、「現代の神隠し事件」とも言われました。「父親不在」の家庭に育った女性たちは、千石氏に「父親」を見たのでした。彼女たちは親元に帰りませんでした。イエスの方舟の一行は全国を転々とし、最後に、福岡に落ち着きました。

千石氏は名誉毀損で書類送検されたものの、女性らの証言から不起訴となった。女性たちのほとんどはそれでも千石氏のそばを離れようとはしなかった。多くは家族とは和解し、騒動の翌年に開いた中州の「シオンの娘」というクラブで働きながら、共同生活を続けていた。メンバーの中には家族に元に戻った人もいたが、新たに訪ねて来る人もいて、騒動時よりも増えた。千石氏は死去したが、今も、女性たちは働きながら、聖書を中心にした共同生活を送っているという。 これも、まさに、救いの箱舟、現代の方舟といえよう。

今日の世界もノアの時代のように、罪の内に、争いがはびこり、行方を図り知れぬ時代のなかに漂流しつつあります。救いの印として、キリストの教会を考えねばなりません。教会も世の荒波にもまれている、しかし、小さくても箱舟です。ここにイエス・キリストの救いが委ねられていることを思います。

自然災害と神の裁き

ノアの洪水の出来事は、神が人の罪を見逃すことなく、罰した結果として、読まれる。この出来事はそれでよいのだろうか?

3.11の東日本大震災を経験し、なぜ、神はこのような悲劇を私たちにもたらすのか。自問自答する。ノアの洪水の記事の最後で、8章21節以下、「主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない。」と言われた。世界の歴史が続く限り、さばきとして自然災害を用いることはないと宣言しているのです。

地震や火山の噴火は、それ自体自然の営みである。それが、多くの人を苦しめることがある。しかし、聖書の神は、裁きとして自然災害を用いられることはない。たとえば、災害を被ることがあったとして、それが神の裁きでないことは、私たちにとって、一つの慰めとなるであろう。