日本キリスト教団 東戸塚教会

2018.1.7「わたしのいるべき場所」

Posted on 2018. 1. 9, 牧師: 藤田 穣

聖書 ルカによる福音書2章41~52節
 02:41さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 02:42イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。 02:43祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 02:44イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、 02:45見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。 02:46三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 02:47聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 02:48両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 02:49すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 02:50しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 02:51それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。 02:52イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

 ヒトラーに屈しなかった国王
 年末に、第2次世界大戦、「ヒトラーに屈しなかった国王」、ノルウエー国王ホーコン7世の映画を観た。
ノルウエーの近代史を調べると、1814年、ノルウエーは、独立を果たしたが、スエーデンの外交圧力もあり、スエーデン国王がノルウエー国王を兼ねる「同君連合」という不本意な独立にとどまっていた。やがて、スエーデン国王とノルウエー議会が対立。1905年、ノルウエー議会は、スエーデンとの同君連合の解消を満場一致で決議、国民投票を実施、圧倒的支持を得た。スエーデンとの間に連合解消を無血の内に獲得、完全独立を果たした。ノルウエーは、立憲君主制に移行、政府はデンマーク王室の次男として生まれたカール王子に即位を要請、王子は国民の意思確認を求めた。国民投票の結果、8割の国民が君主制を支持、同年11月、カール王子は、ホーコン7世として国王に即位した。国民によって民主的に選ばれた国王の矜持とともに、憲法に定められた立憲君主としての「政府を選任する」義務を常に意識していた。第一次世界大戦以来、ノルウエーは、中立国であったが、1940年4月9日、ナチスドイツが、ノルウエーの首都オスロに侵攻した。ドイツは、スエーデンの豊富な鉄鉱石の積出港であるノルウエーを占領下におこうと目論んでいた。ドイツ軍に交戦するノルウエー軍だったが、ドイツの圧倒的な軍事力によって主要な都市が占領された。降伏を求めるドイツ軍に対し、ノルウエー政府は、それを拒否、国王は家族、政府閣僚と共にオスロを離れた。ヒトラーの命を受けたドイツ公使は、ノルウエー政府に国王との謁見の場を求める最後通告を突きつけた。ドイツ公使はヒトラーの命令により、国王にノルウエーの親ナチスの野党党首による新政権の選任を要求した。
 ドイツ公使と対峙した国王は、ナチスに従い傀儡政権を承認し、降伏するか、国を離れて抵抗を続けるか、国民のため、家族のため国の運命を左右する選択を迫られた。北欧の小国の運命に対する国王の決断は、いかに。映画は、国王が決断する3日間を中心に描く。
ホーコン国王は、自分のアイデンティテイ、矜持に従って決断した。
自分は国民の総意によって選ばれた国王であり、民主主義に反するヒトラーに押し付けられた傀儡政権の承認はできない。ドイツの要求を拒めば、国民の財産、生命に甚大な被害をもたらす可能性を承知しつつも、
これからのノルウエー国民が祖国に誇りをもって生き続けるために、不当な侵略に屈することは、できない。国王はドイツ公使にノーの回答をした。一方で、現政府が、ドイツの降伏要求を受諾するならば、国王を退位せざるを得ない覚悟をした。ドイツは、傀儡政権を樹立、1945年まで統治した。ホーコン7世はイギリスに逃れ、国外でノルウエーのレジスタンス運動を指導し、国民の信頼を得た。
 ホーコン7世は、国民から選出された国王として、民主主義に敵対するヒトラーの侵略、降伏要求を拒否したのでした。この決断により、国王は、自分のいるべき場所を確認したのでした。この国王のよって立つ立場が、決断が、今のノルウエー国家の土台となっている。
現在、ノルウエーは、ホーコン7世の孫、ハーラル5世が国王をつとめる。幸福度ランキングで世界1。ノーベル平和賞の授賞をノーベルは、スウエーデン・ノルウエーの両国の平和のために、ノルウエーに委嘱した。ノルウエー政府が推薦する委員が授賞者を選別する。ノーベル平和賞の最初の受賞者はアンリ・ジュナン。この映画を観て、ノーベル平和賞を授与する国としてノルウエーが何とふさわしいことかと思った。
この新年を生きてゆくに当たり、私たちの立つべき場所、何によって立つべきかを考える時にしたいと思います。

 12歳のイエス
 この箇所は、ルカによる福音書のみに記されるイエスが成人を迎えんとする12歳の時の逸話です。前節40節に、「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」とあります。
 イエスが12歳の時、両親は、慣習に従って、巡礼の人々と一緒に、過越しの祭りにエルサレムに上った。ユダヤでは、男子は13歳になると成人になり、成人の義務として宗教的義務を負うことになっておりました。日本でも、戦国時代の武家の男子は、12~16歳で元服・成人を迎えておりました。近頃、日本政府は、成人を18歳に引き下げる法案を国会に提出する方針を決定しております。
ユダヤでは、 12歳になると子供の世界から大人の世界に入る準備段階に入ります。これは、ユダヤの少年としては一人前の大人として認められる年齢になったということです。
ユダヤ人は律法を重んじる民族でした。律法は、イスラエル民族が神の民とされた印です。律法を守る生活をすることは、神の恵を受けている証でした。ユダヤ教の律法により、生活全体をその戒めに従って、規律正しく行いました。彼らは、律法の一点一画もかけることのないように守ろうとしたのです。律法は、人間生活の全体に及ぶことでしたから、幼いときから教えられました。12歳は、律法に対し責任を持つ準備段階に入ったことを示します。それは、親の手を離れて自立することも示します。今日の出来事は、イエスの自立の物語でもあります。

成人男子は、律法により、年に3回エルサレムに上ります。彼らは春の過越祭、初夏の五旬節、秋の仮庵の祭りの3大祭に出ることが命じられておりました。 12歳のイエスは、ヨセフとマリアに連れられて、ナザレの村人たちとともに過越の祭りのため、エルサレムに上ります。ナザレからエルサレムまでは、110kmほどの距離です。ナザレの人々は、先頭に女性、その後ろに男性が集団を造って行動しました。12歳のイエスは、母親の集団でも、父親の集団でもどちらにいても自由でした。
当時のエルサレムの人口は、5万人くらいでした。過越の祭りになると各地から10万人もの巡礼が集まったといわれます。イスラエルは、高い城壁に囲まれた町でした。そのなかで、エルサレム神殿を中心として、大勢の人々がごったがえしていました。お祭りですから町中が楽しい雰囲気に包まれており、皆、時の過ぎるのを忘れるほど高揚していました。 
やがて、祭りが終わって、ナザレに帰ることになりました。エルサレムを出て1日経った夜、両親はイエスが自分たちの許にいないことに気づきました。呑気な話ですが、一つの巡礼団は、女性は女性、男性は男性で行動していました。皆、祭りの高揚した気分で動いていましたから父親のヨセフは、イエスが母マリアの集団に、マリアは、ヨセフの集団と一緒に行動していると思い込んでいたのです。
ヨセフとマリアは、息子のイエスを見失ってしまったのです。それは、息子が自立して生きる、親の手を離れて、神の前に一人で立つ時を知らせることになりました。
ヨセフとマリアは、血相を変えて、親戚や村人の中を捜し、帰りを急ぐ巡礼団とは、逆に、まる1日の道程を巡礼団のなかを捜しつつ、エルサレムに引き返したのです。祭りの終わった町の中を懸命に探しました。夜も眠らずに捜したのでしょう。やっとイエスが神殿のなかにいるのを見つけたのは、はぐれてから、3日目であったと聖書は記します。

イエスの天の父に対する自覚
イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしているのを見つけました。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていたとあります。
ここで、学者とありますが、律法の教師と考えた方がふさわしいようです。教師の教えを聞いている生徒イエスのその物分かりの良さと答えぶりに、周りの人たちは、みな、一様に驚いた。岩隈訳では、「イエスの云うことを聞いていた人々は、皆、彼の聡明な答えにびっくりしていた。と訳しています。
両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
我が子を捜すのに、夢中になっていた母にとっては、イエスが神殿に残っていたことが驚きでした。お父さんもわたしも心配して捜していたのですよ。心配と訳された言葉は、普通のギリシャ語では使われません。それは、「地獄の責め苦に遭う」という意味で、なにか、老シメオンが予言した、言葉を思い起こします。「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」(ルカ福音書2章34~36節)の厳しい言葉を想わせます。
親であれば、自分の息子の安否を3日も心配し、心痛めていたのですから。すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
  ここで大事なことは、母マリアがあなたのお父さんヨセフと云ったことに対して、イエスが「わたしの父は、天の父なる神」と答えたことです。12歳のイエスは、自分が何者であるか、そのアイデンテティをはっきりと公言したのです。 イエスは、ヨセフとマリアが両親であることを否定するものではありません。それを肯定したうえで、これを超えて、「わたしの父の家にいる自分」を主張する。イエスの両親は、この世での独占的な両親の立場を失うことになる。イエスがこのような天の父との単独の関りを意識したのは、成人する神の子として自然のことだったかも知れない。
ヨセフとマリアは、迷子の息子を見失っていただけでなく、この世の生活の中でイエスが、天の父の子、神の子であることを見失っていたのです。
  ここで「わたしが父の家にいる」と訳された原文に「家」という言葉はありません。そのまま訳すと「父の事の中にいることを知らないのですか」となります。それは、「わたしは、父なる神さまの仕事、なすべきことのなかにいるのだ」となります。そして、それは、天の父なる神が生きておられる、今、生きて働いておられることの証でした。天の父が生きて働いておられるのだから、子どもなるイエスがその業に参加する当然の姿です。
マリアもヨセフもイエスがお生まれになった時には、天使ガブリエルより、神の子としての誕生を告げ知らされていたはずです。イエスの子育てという日常生活の中でそのことを忘れていたのです。イエスは、成人を前にわたしのいるべき場所、よって立つ所を確認されたのです。私たちの信仰生活も、日常生活の忙しさの中で、よって立つべきところを失っているかも知れません。
12歳のイエスは、「あなたのいるべき場所」「よって立つべきところは」どこですか?あなたは誰に属するものですか?イエス・キリストに属するクリスチャンではないのですか?と私たちに問われているのではないでしょうか。
パウロは、私たちに、「3:16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」(コリント信徒への手紙Ⅰ 3章16節)と問うております。神さまが私たちに生きて働いておられるのに、それを自覚していないのですか?と。

  両親は、イエスの云われた意味が分からなかった。イエスのいるべき場所、それは、天の父なる神が、生きて働いている場所でありましょう。わたしたちも、イエスが私たちの信仰生活の中で生きて働いておられる事実になかなか気が付きません。真に平安を得られる場所を、平安を与えてくださる主イエスを心の底から知っているから、私たちは、この世に困難、苦しみがあろうと生きて立つことが出来るのだと思います。