日本キリスト教団 東戸塚教会

2018.11.04「愛の契約」

Posted on 2018. 11. 4, 牧師: 藤田 穣

創世記9章8~17節

    09:08神はノアと彼の息子たちに言われた。 09:09「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。 09:10あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。 09:11わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」

   09:12更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。 09:13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 09:14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、 09:15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。 09:16雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」 09:17神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」

    

    永眠者記念礼拝の時、ノアの洪水の出来事を通して神の永遠の契約について学びます。神さまは、ノアの洪水の時と同じように、現代の世界の現実をご覧になられたら、「こんな世界は滅ぼしてしまえ」と云われても仕方のない暴虐の出来事が起こっていることを思い慙愧にたえません。

   

神さまは天地を創造し、草木を、海の魚や空飛ぶ鳥や地上の動物、そして、神の御自分にかたどって人間を、命ある世界を創られました。しかし、人間を含むすべての生き物は、弱肉強食の暴力行為によって世界を荒廃させました。「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。 (人間の悪が蔓延っているのを)神は御覧になった。神は、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」(創世記6章6節)神が後悔するとは神さまらしくありません。民数記23章19節に、「神は人ではないから、偽ることはない。人の子ではないから、悔いることはない。言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されないことがあろうか。」

神さまが悔いることはない、と断言されております。後悔しないはずの神さまが後悔しているのです。神は天地創造のわざにおいて、人間にのみ、神さまの御心に従う意思と、神の御心に背く自由意思を与えられたのでした。人間は、その自由の故に、善悪を知る知識のゆえに、悪を選ぶ道も開かれました。しかし、それは、人間の責任、自己責任であります。人間の悪は、神さまにとり重大な意味を持つていたのです。人間創造のとき、将来、悔いる可能性が起こりうるかもしれない決断をしたのが、その通りになってしまったのです。それゆえ、神さまは、自分が創造した人間の現実の姿に、心を痛められたのです。神さまは、その愛により、この世界を、人間を創造したのに、私たち人間は、その愛に背いたのです。その愛の深さゆえに神は怒られたのでした。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。」(6章7節)と神さまの怒りは爆発します。「見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。」(創世記6章11~12節)からです。神さまは、人間の悪が世界の秩序を破壊しかねないと考え、秩序を再構築すべく、人間と生き物を滅ぼすべく、大洪水を起こすことを決断したのでした。

    神は、その時代、正しい道を歩んでいたノアを選び、巨大な方舟を造らせ、彼の家族と、全ての生き物から一つがいと1年分の食料を積み込ませました。11節で神は、「わたしはすべての人を絶やそうと決心した」(口語訳)とありますから、本来、ノアもその家族も例外ではありえなかったのです。ノアと家族は神様の忍耐のうちに見逃されたというのが正しいのかも知れません。

その後、大洪水を起こして、方舟に乗っていた以外の地上のすべての生き物を滅ぼさせました。水が引いて地上が現れたとき、方舟を出たノアは、祭壇を築き、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげます。  

8章21節、「主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも寒さも暑さも、夏も冬も昼も夜も、やむことはない。』」と云われました。

    神は大洪水が起こる前、ノアに、「わたしはあなたと契約を立てる。」(創世記6章18節)と云われておりました。その契約の内容が今、明らかにされます。「わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」(同書9章11節) 神さまは契約を立て、再び、大洪水を起こして、地上の生き物を滅ぼすことはない、と云われました。

    普通、契約は、甲乙当事者間で、将来発生するであろう事柄について、当事者間の権利と義務について、約束するものでありますが、ここでは、神の一方的、一方交通の約束です。ノアの側は、何の義務も負わない。語るのは神のみである。神さまは、契約を結ぼうとは言われない。一人で決めて「そうしよう」と言われるのです。神さまの恵みの押し付け、憐みの押し付けです。そして、私は虹を見るたびに、この約束を思い出そうと二度と洪水による審判はしないと自戒さえしておられるのです。

    「すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(創世記9章13節) 契約の印として、雲の間に虹を置くと云われた。それは、契約の効力を示す捺印のようなものです。

    虹、日本語の虹は、に(丹)で赤、「シ」は、白から来たとか。蛇の精である「ヌジ」から来たとも云われる。英語の「Rainbow」は、「雨の弓」で雨の矢を放つということか。ヘブル語の虹、ケシュットも弓です。天にかかった虹の弓、それが雨や稲妻を矢として放つという。神が御自身の武器「弓」である虹を雲の中において和解の印とされた。虹は、神のおられる雲にあり、人間の手の届かないところにあります。神の恵は人間の思いを超えて先行するのです。16節では、神ご自分の立てたられた永遠の契約を「思い起こされて、再び肉なるものを滅ぼす洪水は起こされない」と約束されました。

    神さまはご自分の約束を忘れる訳はありません。神さまが人が罪を犯すのを忍耐している、神さまは約束の虹を見て、契約を思い起こし堪えるのです。この後、この世界が洪水で滅びることはありませんでした。

    この永遠の契約では、罪が赦されたことにはなりません。神さま

   の態度は、パウロが言うように、「今までに犯された罪を、神は忍

   耐をもって見逃しておられた」(ローマ書3章25節b・語訳)

   のです。

この旧い永遠の契約は、やがて、イエス・キリストの十字架を通して、新しい永遠の契約となりました。本来、十字架に呪われるべきは、神さまの怒りは悪により罪に堕ちた私たち人間に下るべきものでした。しかし、人間にくだるべき神の怒りは、神の独り子イエス・キリストに下されて、イエス・キリストが怒りを受けて裁きの死を遂げたのです。

その結果、罪を犯した私たち人間には神の愛、恵み、憐みだけしか来ないのです。これが十字架における私たちの罪の赦しなのです。

パウロは、「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。」(ローマ書3章25~26節)

かって、天と地に掛かる虹が平和の証しとなったように、今は、天と地にかかる唯一の架け橋であるキリストの十字架が永遠に続く救いの契約、永遠の契約として、わたしたちの頭上輝いているのです。キリストの十字架により、神と和解し、裁きを免れ、そのまま永遠の御国へと通じているのです。そして、イエス・キリストの復活こそ、神の新しい永遠の契約の捺印なのです。

    

    私たち人間の歴史を通して、神さまは、その愛によって、私たち人間を生かし続けてくださっているのです。旧約の時代は、人間の悪や罪を忍耐をもって見逃し、新約のイエス・キリストの時代には、愛を持って、御子イエスを私たちの罪の贖いとして、代わりに十字架につけ、私たちの罪を赦してくださったのです。何という神さまのなさりようでしょうか。ただ、ただ感謝の他ありません。

    キリスト教会の信仰は、この十字架による私たちの罪の贖い、罪の赦しに立つものです。この地上の生涯を終えて、永眠者として天国に帰った信仰の先輩たち然りです。

    神の永遠の契約の中に、その愛の契約の中に、私たち地上に在る者も共に招かれているのです。

    永眠者記念礼拝のこの時、天国に憩われている先輩達の在りし日の信仰に思いを馳せ、その信仰に学びつつ、自らの終末にも思いを馳せましょう。