日本キリスト教団 東戸塚教会

2018.12.16「ザカリヤの信仰」

Posted on 2018. 12. 17, 牧師: 杉村 和子

今日のルカによる福音書1章5節以下は、何度も取り上げられている箇所です。ヨハネは、救い主の到来を告げる大きな役目がありました。彼も

  イエス同様、神の不思議な力によって誕生したのでした。

   祭司ザカリヤは、神の御前で祭司の務めをしていたとき、主の聖所に入って香をたくことになった。そのとき、主の天使が現れ、ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った、「「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネ(主は恵み深いの意味)と名付けなさい。」 これは、マリアが天使から告げられた言葉と同じである。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエス(主は救い)と名付けなさい。」(ルカ福音書1章30~31節) マリアは、この言葉を素直に受け入れた。

   しかし、ザカリヤは、「しるし」を求めた。彼らは、敬虔な信仰の持ち主であったが、子どもに恵まれず、諦めていた。何を証拠に?ザカリヤは、

「しるし」を求めた。彼は敬虔な信仰の持ち主であった。だが子どもに恵まれず、諦めていた。何を証拠にそんなことを言うのか。彼は、しるしを求めた。 イエスの復活を信じなかったトマスに、主は現れて言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 トマスは、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 イエスはトマスに、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」と言われた。(ヨハネ福音書20章27~29節)

 人間は、自分が納得するために「しるし」を求める。人間はそれほどに疑い深い存在である。

 常識で考えれば、年老いたエリザベトに子どもは、生まれない。理論で考えればそうである。これに対し、神は感情派である。イスラエルの民がエジプトで奴隷の状態に苦しんでいた時、神はイスラエルの民の苦しみを顧みられた。神は腸がねじれるほどに悲しまれる。神は感情豊かな方である。

 神は、ザカリヤに、救い主を導く子どもを与えると約束された。マラキ書3章1節に、「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者、見よ、彼が来る、」とある。この預言が実現された。

 聖所から出てこないザカリヤを人々は怪しむ。ザカリヤは、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。何故か、ザカリヤは、口がきけなかった。

 神は、ザカリヤに罰を与えたのか。ザカリヤはショックな出来事に言葉を失ったのだ。畏れのゆえに、沈黙せざるを得ない。ザカリヤは神の罰を受けたのではない。ザカリヤが信じられないのは、自分に子どもが生まれる

ことを信じられないことだ。

 創世記18章に、御使い一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。(11~12節)

 サラはそんなことはないと笑った。しかし、彼女はイサクを生んだ。

ヤコブの妻ラケルは、長らく子どもを授からなかったが、神はラケルを御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、ラケルは身ごもって男の子を産んだ。そのときラケルは、「神がわたしの恥をすすいでくださった」と言った。彼女は、ベニヤミンとヨセフを授かった。当時は、不妊を恥と捉えられていた。

サムソンの母、サムエルの母然りである。

 ザカリヤは天使の言葉を受け入れて信ずべきだったのかもしれない。彼は、

完全に祭司の務めを果たすことであった。ザカリヤの祈りは、子どもが生まれることだったのか?祭司の務めのなかで祈るはずはない。彼が祈ったのは、イスラエルの苦難、苦しみを取り去る、メシアの到来を祈ったであろう。

 突然の天使の言葉に反応した。救い主、自分の子供の誕生を知らされて、口のきけない状態が、ヨハネの誕生まで続いた。

 ザカリヤの沈黙、私たちにも求められている。世の中で色々な事件が

起きている。国同士の騙し合い、借金のため乗っ取られかねない国もある。戦争が起きてもおかしくない世界、忙しさのなかで本当のことがみえない。

 昔はこんなはずではなかった。こういう時代だから真実の神を求める。

 イスラエルは大国の支配に苦しめられてきた。神が救い主をくださることを信じていた。

 信仰は神の言葉を受け入れ、信ずることである。神を信頼しすべてを委ねることだ。旧約聖書の人々、ザカリヤも弱さを持っていた。私たちも然り、

貧しい信仰しかない。

 神はザカリヤの信仰を良しとし、沈黙を与えられた。沈黙は、ヨハネの誕生まで続いた。救い主を導く子どもの誕生まで。

 マリアがエリザベトを訪問したとき、マリアの挨拶をエリサベトが聞いて、その胎内の子がおどった。エリザベトは、あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(ルカ1章40~45節)

 全世界にこの良き知らせが伝えられるのは不思議。ザカリヤとエリザベトは、救い主誕生の福音を知らされた。

 天使が、「怖れることはない」と言われたとき、素直に受け入れなさい。素直に頷くことが出来れば幸いです。