日本キリスト教団 東戸塚教会

2018.12.2「主の恵みの年」

Posted on 2018. 12. 3, 牧師: 藤田 穣

ルカによる福音書4章14~21節
04:14イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。 04:15イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。 04:16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 04:17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。 04:18「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、 04:19主の恵みの年を告げるためである。」 04:20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。 04:21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

はじめに
2018年、平成30年も最後の月になった。今年は、恵まれた年であったのだろうか?国全体を見れば、6月の大阪北部地震、7月の西日本豪雨、9月の台風21号阪神地区襲来、台風24号東日本縦断と天災しきりである。世界中が異常気象により被害を受けている。7月のギリシャの山火事80人以上死亡、9月のインドネシア スラウエシ島大地震では、20mを超える津波が起こり、1558人が死亡、1000人が行方不明 11月の米国カリフォルニア州の山火事は行方不明者が600
人を超えた。
シリアの内戦は未だ終わらない。今年のノーベル平和賞イラクの少
数民族ヤジデイ教徒の権利を訴えた25歳の女性ナジディア・ムラド氏、
コンゴ共和国の医師ドニ・ムクウエゲ氏63歳に贈られた。いずれも
紛争下で起きている性暴力に対する活動が評価された。ムラド氏は、
女性への性暴力が戦争の武器として使われていると訴え、自らもイス
ラム国(IS)に性奴隷として拘束され生還した体験談を語り性暴力撲滅を訴え活動している。平和賞の賞金5000万円では捕らわれているヤジディ教徒の女性3000人を取り戻すには足りない。一人を取り戻すのに220万~336万円かかると状況の深刻さを訴えている。
(10月9日静岡新聞夕刊より引用)
この世界は、このような闇のトンネルから脱出できるのだろうか? 全知全能の神が永遠の歴史を治めるなかで、来年はどのように恵まれた年になるのだろうか?

聖書本文に入る
30歳になったイエスは、ヨルダン川に赴き、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、祈っておられた。すると、天が開け、ルカ3章23節、 聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、
天から聞こえた。その後、同4章1節以降、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになり、荒れ野で、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、…イエスを離れた。
そして、今日の4章14節、イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。
洗礼を受け、聖霊の力を受けたイエスは、悪魔(サタン)の誘惑・試練を経て、逞しくなってガリラヤに帰って来た。
新英訳聖書では、「聖霊の力で身を固めて」と訳している。聖霊の力に溢れてガリラヤに帰られるとその噂が周りの地方まで広まった。イエスは、故郷のナザレに帰り、安息日にユダヤの会堂シナゴーグに入り、聖書を朗読しようとして立たれた。
すると預言者イザヤの巻物が手渡されたのでその書を開いた。
イエスの時代の礼拝 最初は告白 シェマ、イスラエルよ聞け(申命記6章」4~9節)に続き、嘆願の祈り、聖書朗読、説教(教導)という形で行われた。
イエスが開いた聖書個所が、先ほど司会者に読んでいただいた招詞のイザヤ書61章です。この個所は、アドヴェントの時に読まれる言葉でもあります。61章は、イザヤ書56章から66章までを書いた第3のイザヤの書といわれます。第3イザヤの時代は、バビロン捕囚から帰還した後の時代です。エルサレム帰還は果たしましたが、エルサレム神殿の再建は果たせず、その厳しさに絶望していた時代に預言者として第3イザヤは立てられました。
イザヤ書61章1~3節 本文  主はわたしに油を注ぎ、主なる
神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を告知して、嘆いている人々を慰め シオンのゆえに嘆いている人々に、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた、正義の樫の木と呼ばれる。
旧約聖書の時代イスラエルでは、王、預言者、祭司などに任職される場合、油注がれて、神によって聖別され、その職務に必要な賜物が神から与えられるように祈りました。元来、メシアとは、油注がれた者を指す言葉でした。第3イザヤは、そのように、神から預言者として油注がれたメシアでした。ルカ福音書4章18~20節が、イザヤ書61章1~2節の引用です。イザヤ書本文を見ます。
主ヤハウエの霊がわたしに臨んだ。主はわたしに油を注ぎ、預言者
として任命された。わたしを遣わして貧しい者たちに福音を述べ伝えるために。貧しい者と訳されたへブル語の本来の意味は、「苦しむ
者、抑圧された者」である。苦しむ者、抑圧された者たちに良き知らせ告げるために。捕らわれ人は、バビロニア捕囚の人たちではない。不作で負債を抱え返せない人々、そのために、獄に繋がれている人々に解放を告げるために。第3イザヤは、悲しんでいる者、すべてを慰めることである。
ここにある「主の恵の年」は、ヨベルの年を思い起こさせる
レビ記25章8節以下にある、「あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛(ヨベル)を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、 この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。
この年にはすべての耕作地が休耕とされ、売られた土地が返還され、負債が免除される。イスラエル人の奴隷となっていた者が解放された赦しの年である。実際に、ヨベルの年が歴史上なされたかは不明である。しかし、これが、神の意志であったことに間違いない。
50年目にはすべて負債がご破算とされ、チャラとされ、新しい歴史が再開される。こんな年が定められたなら、と貧しきものは思う。
第2イザヤも告知する、イザヤ書49章8節、「主はこう言われる。
わたしは恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた、とある。

61章2節後半~ わたしたちの神が報復される日を告知して、嘆いている人々を慰め、 シオンのゆえに嘆いている人々に、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた、正義の樫の木と呼ばれる。
わたしたちの神が報復される日を告知する。第3イザヤでは、エル
サレム神殿の再建を妨害する人々への裁きを示す。灰を被るのは深い悲しみの表現、荒れ果てたシオンの悲惨さを悲しむ者、冠は喜びの象徴、祭りに使われた喜びの油。砂漠気候のパレスチナでは、木が植えられることは貴重、シオンの民は神に選ばれた貴重な民であることを示す。
第3イザヤは、苦しむ者、抑圧された者に福音を伝える使命をあた
えられた。それは、第2イザヤの使命を受け継いでいる。第2イザヤは、抑圧された人々の悲しみを一身に負う預言者(イザヤ53章4節の苦難の僕、「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、」この苦難の僕が、イエス・キリストとダブって見えてくる。イエスは、イザヤ書の預言を通して、その成就としてご自分が来られたことを、苦難の僕としてのご自分の使命・生涯を宣言されたのでした。
このイザヤ書61章1~2節で言われるのは、メシアが遣わされ、神の恵の支配が始まったということです。これを受けて、イエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。(ルカ福音書4章20節)
神の約束の時が成就された。神の恵の支配が始まった、ことをイエスは、宣言したのでした。
当時のユダヤは、ローマの属国になっており、圧政を受けていまし
た。そのローマの支配から解放されて、経済的にも宗教的にも祝福されることを望んでいました。やがて、救い主が来て、ローマの支配から解放してくれることを望んでいました。
けれども、ここでは、救い主(メシア)は、栄光の王として来て世
界を統治する終末の前に、一人の僕として、人々に仕える者として、苦難音僕として来られることがここでは語られたのでした。
イザヤ書53章4節は、抑圧されている者を慰め、自由を奪われてい
る者に自由を与え、心の閉ざされている者の心の扉を開いてくださり、人々が幸せになるように、神でありながら人間となり、奴隷のように人間に仕え、働いてくださる。
ルカ福音書18節以下、「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれて
いる人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」
福音書の他の個所でも言われます。マタイ福音書11章2節以下、
バプテスマのヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、イエスに尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」

山上の説教の締めくくりでは、イエスはこう言われている。「すべ
て重荷を負うて苦労している者はわたしの許に来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ福音書11章28節)
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたし
が求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9章12~13節)

イエスは抑圧された者たちの苦しみをヨベルの年へ、その罪をご
破算にしてくださるためにこの世にこられたのです。
私たちは毎年の行事のごとくアドヴェントの時をすごしています。しかし、アドヴェントは、2000年前の出来事ではありません。イ
エスの云われた今日は、2000年前の今日であると共に、今日、
12月2日であります。讃美歌546にある昔在まし、今在まし、明
日来たり給う、永遠に在ます主、イエス・キリストの神であります。
主イエスは昨日も今日も変わりなくわたしたちのために働き給う。
苦しむ者、抑圧された者を共にあって解放し給う。現実は暗き世界
ですが、その先を照らす一筋の光が主によって示され、解放に導か
れます。
その中で少しずつ、マイノリテイーと言われ抑圧されている人た
ちに、障害者に光が当たり始めております。
障害は個性である。パラリンピックを目指すアスリートのCMの言葉です。
先日のNHK クローズアップ現代でも、発達障害の人たちの就労がとりあげられておりました。発達障害、(ASD…自閉症スぺラクトム、アスペルガーを含む。ADHD…注意欠如・多動。LD…学習障害)の人たちを積極的に採用している企業が紹介されておりました。障害が一つの個性として理解される時代が始まるかもしれません。
障害者のパラリンピックの先駆者にスエーデンの レーナ・マリアさんがおります。彼女は、生まれつき両腕がなく、左足に障害がありますが、3歳から水泳を始め、18歳、19歳で出場した障害者世界選手権で金メダル、1988年20歳で、ソウルパラリンピック入賞を果たしております。その後、水泳を引退し音楽に生きるためストックホルム音楽大学祖卒業後、ゴスペルシンガーとして活躍しており、本年も、レーナマリアさんの日本公演が各地で開催されております。私は、10年ほど前に、栗林浩兄(現在、茨城の施設におられる)が神戸の社会福祉法人プロップステーション(障害のある人をチャレンジド(挑戦する使命やチャンスを与えられた人々と呼び、ITを駆使して自立と社会参画、就労支援活動をしている)でのボランティア活動をしていたとき、同法人が招待したレーナマリアさんの東京公演・ディナーショーに行ったことがあります。彼女は両腕がないことを神の恵と受け止め音楽や絵画、水泳にも挑戦してきました。その歌声は天使の歌声のようでした。栗林兄が通訳をしておあられたので、わたしも挨拶しにゆき、思わず握手しようとして、手をひっこめ、お辞儀で挨拶しました。後で、他の人を見ていたらハグをして挨拶をしていましたので、失敗したと思いました。
それぞれの個性の違いを認めて共生できる社会の実現が待たれます。すべて、神の造り給う人間なのですから。神さまの愛によって創られた人間ですから、神さまが一人一人を愛されるように、私たちも他者を愛し、赦しあえる社会を築き上げたいと思います。
主イエスは、今苦しみ、抑圧されている者たちの救い主(メシア)として、昨日も、今日も働いておられることを受け止め感謝したいと思います。