日本キリスト教団 東戸塚教会

2018.12.30「二人の王」

Posted on 2019. 1. 5, 牧師: 藤田 穰

マタイによる福音書2章1~12節

02:01イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 02:02言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 02:03これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 02:04王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 02:05彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 02:06『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 02:07そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 02:08そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 02:09彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 02:10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 02:11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 02:12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

クリスマスが恵みのうちに終わりました。東欧、ロシアの教会ではこれからがクリスマス、1月6日の公現日をクリスマスとしております。しかし、お隣の中国では、各地でクリスマス礼拝が中止されました。当局からクリスマス中止令がだされ、クリスマス商戦も打ち切られ、クリスマスの日に教会で礼拝が出来ませんでした。そして、各地の教会で会堂の十字架の撤去が行われております。 

中国でも信教の自由が憲法で認められております。しかし、それは、社会主義体制と調和した信仰の自由ということです。この体制下の信仰については、ローマ法王がそれを容認したとの報道もあります。

中国のキリスト教徒は、公称4千万人と言われますが、地下教会の信者を含めると1億人位に上るとのことでした。なぜ、キリスト教を厳しく取り締まるのか?キリスト教の教えが人権問題、人道問題などで個人の自由と平等など民主主義的な考えに繋がり、共産党一党体制の維持に悪影響を及ぼしかねないとの怖れがが習近平体制にあるからだといわれます。教会の入り口で見張っている公安当局は、戦時中の日本の憲兵による礼拝監視を思い出さざるを得ません。

中国のキリスト教徒の信仰が守られますように。パウロの言葉、

 「神が私たちの味方であるならば、誰が私たちに敵対できますか。」

                     (ローマ書8章31節)

  雄々しくあれ、主の民よ、と応援します。

中国のキリスト教会がその信仰を自由に告白できる日が来ることを願うものです。

東の博士たちは、何故、異常な光を放つ星に、ユダヤ人の王の誕生を知ったのでしょうか。

イエス・キリストが現れる数世紀前、BC587年、バビロンのネブカデネザル王がエルサレムに侵入して、南ユダ王国の多くの民をバビロンに捕虜として捕囚しました。捕囚の地においても、ユダの民は、神が永遠の王国を確立するために、ダビデ王の子孫をイスラエルの中に救世主として興すであろうとの信仰を抱いていた。この捕囚の民の信仰が東方の国に知れわたっていたことでありましょう。

博士たちが、この異常に光る星をユダヤの方向に発見したとき、ユダヤの国に、この待望の王が誕生した預言の成就と考えたのでした。彼らはこの王の誕生を確認し、拝むべく、贈り物をもって遠き道を旅したのでした。

聖書本文はこう伝えます。

1節以下、イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。彼らは、ユダヤ人の王であれば、都エルサレムで生まれたに違いない。しかし、エルサレムには、王の誕生に心を向ける者は誰もいませんでした。

博士たちの言葉を聞いたヘロデ王は不安を抱いたとあります。ヘロデは、今君臨しているユダヤ人の王なのです。彼は猜疑心の強い、自分の地位に執着する 王でした。「狂王ヘロデ」という小説を曽野綾子さんが著しています。その異常さは、際立っています。

ヘロデは純粋なユダヤ人ではなく、イドマヤ・エドムの出身でした。彼は民の心をひくべくユダヤ教に改宗、ユダヤのハスモン王朝の血筋をひく、マリアンネを妻に迎えました。既に、ヘロデは、ローマ皇帝に取り入り、パレスチナ全土を支配する権力を得ていたのでした。

  ヘロデはBC37年に即位し、イエスの生まれたとされるBC4年に死去している。ヘロデは、即位と同時にユダヤ宗教議会・サンヘドリンの議員45人を殺し、三百人の役人を殺した。翌36年には、大祭司アリストプルスを毒殺します。その後、伯父を殺し、妻マリアンネの父を殺し、BC29年には愛する妻マリアンネに手をかけ、翌年、マリアンネの母を殺し、マリアンネの一門を皆殺しにしたのです。BC7年には自分の息子二人を殺し、BC5年、ベツレヘム周辺にいた2歳以下の男の子を皆殺しにしたとあります。BC4年には最愛の息子アンティパテルまで殺したのです。自分の地位を守るために、疑わしい者は皆殺したのでした。

  このような残忍非道の王の許で、エルサレムの人々は、なにかことがあれば悲劇が起こるとおびえていました。

1節、イエスはヘロデ王の時代にエルサレムに生まれたとありますが、この新共同訳では、原本にある「ところが見よ、」が省かれています。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。占星術は、今は、占いの分野であるが、当時の世界では、この世で起ころうとする出来事は、星の支配下に置かれていると信じられていた。それゆえ、星の運航を観察することによって、これから起こる出来事を予知できると考えられていた。星の運航を観察するする学者は最高の知識人であったといわれます。

  今日はこの学者を博士と呼んで話を進めます。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がミカこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となる。

ベツレヘムは、ダビデ王の出身地である。イザヤと同時代の預言者ミカ5章1節の預言である。

  博士たちはベツレヘムを目指して再び歩み出すが、ヘロデや祭司長たちのも誰も一緒に行く者はいない。ただ、ヘロデのみが、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。しかし、ヘロデは残忍な、計画を心に宿していた。

自分と同じ王を称する生まれたばかりの幼子に、ヘロデの敵意がむき出しになります。ヘロデは、このライバルの殺戮を考えるのです。

  彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。長い旅路は終わりを迎えた。彼らは喜びを爆発させた、

  原語の直訳は、「非常に大きな喜びで喜んだ」即ち、躍り上がって喜んだのでした。11節、家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

  元来、キリストという言葉は、油注がれた者、それは、王として即位した者、王のイメージがあります。主イエスとか主キリストという言い方、主は主権者という意味で、ローマ皇帝を呼んだ言葉です。主と訳されるギリシャ語・キュリオスは、ローマ皇帝にあてはめられた言葉です。ローマでキリスト教迫害が起きたとき、ローマ帝国は、国民に、皇帝崇拝をさせていたのです。ローマ皇帝は信仰の対象でした。同じ主でありながら、皇帝を拝むのか、主イエスを信じるのか二者択一をせまられたのです。日本でも信教の自由との闘いのなかで、戦時中の天皇とキリストとどちらが偉いかという踏み絵がなされ、多くの牧師が捕らえられたことを思い出します。

  ヘロデは幼子イエスを権力者として扱い、敵意をむき出しにしました。それは、イエスが福音宣教活動を行ったときの、祭司長や律法学者たちの態度と同じです。イエスが、自分たちの地位を脅かすという怖れを彼らは抱いたのでした。

  イエスが主であることは確かです。彼が王であることも確かですが、単なる王ではありません。人間の救い主として神から遣わされた主なのです。

  贈物は、王への贈物である。博士たちは、自分にとってかけがえのないものでした。黄金は、金属の中の王であり、時代を経ても変化することがありません。王として生まれたイエスは、力ではなく愛によって支配する。それは王座からではなく、十字架の上からでした。

乳香は祭司への贈物である。香ばしい乳香は、神殿において犠牲がささげられた時に用いられた。祭司の務めは>犠牲を捧げることにより、神に対する執り成し、和解の業をなすことでした。イエスは、ご自分を十字架の犠牲として捧げ、私たちに神と和解する道を開きました。今も神の右におられ、私たちの罪のための執り成しをしておられます。

 没薬は死者への贈物です。極言すれば、主イエスは死のためにこの世に生まれたといっても過言ではありません。この地上の生涯を十字架を目指して一心に走り抜けました。イエスは、この世に来られ、いつも他者のために生き、私たち人間の救いのために十字架に死なれたのでした。 この3種類の贈物は、イエスのまぶねの揺り籠時代に、贈られましたが、将来、御子イエスが、真の王、真の大祭司、真の救い主になることを暗示していたのでした。

   しかし、マタイは、博士たちが帰った後、ヘロデによる幼児大虐殺が起こったことを記しています。エレミヤの時代の故事を通して、その様子を記します。

   12節以降、ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。 

占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」

さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤがバビロン捕囚の出来事をを通して言われていたことが実現した。 エレミヤ書31章15節、「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」

ラマはエルサレム近郊の町で、バビロンと闘い敗れたイスラエルの人たちが、捕虜として捕囚されてゆく道筋にあったとされます。戦争で子供を失った嘆きが、創世記にあるヤコブ子ヨセフが兄たちによってエジプトに売られ死んだと報告されたときの母ラケルの嘆き、悲しみのようだったとエレミヤは、綴ったのでした。

ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」さて、

  昔と状況は違っても、現在〃パレスチナで起きている戦乱によってシリアやイスラエルのガザの住民たちが同じような悲惨な出来事に遭遇しているのです。2千年前のそれはヘロデの猜疑心、敵意からでした。現代でも、己のみを誇る国、力を持つ者、権力を持つ者、武力を持つ者のたちの利己心、猜疑心、敵意、それが罪のない人々の死と家族の嘆きを生み出しているのです。現代の大国で独裁者が力をふるいだしている。アメリカ、ロシア、中国然りである。神を畏れぬ者たちが蔓延ろうとしている。しかし、彼ら一人として死に打ち勝つことはできない。

  私たちは、今日、ヘロデとイエスの二人の王について考えました。二人の王の違いは私たちに何を示唆するのだろうか。

私たちは、このベツレヘムに誕生した幼子がメシアであることを知っている。イエスがこの地上に生まれ給うは神の愛のしるしである。

神がイエス・キリストをお遣わしになった真意が聖書にある。ヨハネ3章16節、神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

イエスは、私たち人間をその罪、利己心、猜疑心、敵意から救うために、来られ、私たちに代わって十字架に死んでくださったのでした。

彼は平和のシンボルである。パウロは言う。「(主イエスは)十字架を通して、…(私たちを)神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。イエスは、十字架の死を通して、神と和解させるために誕生されたのです。この神との和解こそ、人と人との和解につながる。愛と赦しからしか真の平和は生まれない。

現代において、私たちは、平和をどのように祈り、どのように意志し、行動すべきなのか、問われている。