日本キリスト教団 東戸塚教会

2018.12.9「全知全能の神」

Posted on 2018. 12. 10, 牧師: 藤田 穣

詩編139篇1~16節

   主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。 139:02座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。 139:03歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。 139:04わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。 139:05前からも後ろからもわたしを囲み、手をわたしの上に置いていてくださる。 139:06その驚くべき知識はわたしを超え、あまりにも高くて到達できない。 139:07どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。 139:08天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。 139:09曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも 139:10あなたはそこにもいまし、御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる。 139:11わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」 139:12闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち、闇も、光も、変わるところがない。 139:13あなたは、わたしの内臓を造り母の胎内にわたしを組み立ててくださった。 139:14わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって、驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか、わたしの魂はよく知っている。 139:15秘められたところでわたしは造られ、深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。 139:16胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている、まだその一日も造られないうちから。

   

何でもできる神さま 

   この世界を創られた神さまは、何でもできる、全てを御存じの方であると聖書は教えています。

  主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私

のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。(新改訳聖書 詩編139篇1~4節)

  皆さんは、お父さん、お母さんや兄弟、お友だちが心の中で何を考えているか、分かりますか?お話ししてみなければ分かりませんね。しかし、神さまは、私たちが口にだす前の言葉も、私たちが頭の中で考えていることも御存じなのです。

  私たちが自分の部屋に一人閉じこもっていることも誰に見られていなくても神さまは見守っておられます。神さまからかくれようとどこかに出かけても宇宙の果てに行ったとしても、深い海の底に潜っても、神さまは私たちの思いと行いを見抜いておられます。

  神さまは私たちの思いや心を御存じでも、時には私たちが、お友達のことを嫌いだな、許せないと思っていても、私たちをそのまま憐み、愛していてくださいます。良き方向に成長するように見守っていてくださいます。

  13節以降には、

  それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇すしい、不思議なことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいません。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。(新改訳13~16節)

ここには、神さまがわたしたちに命を授けてくださったことが、記されています。

私たちは、外の世界を見る目、香りをかぐことのできる鼻、話したり食べたりすることが出来る口、音や声を聴くことのできる耳、自由に動かせる手足、考えることのできる頭、わたしたちの体のすべてを神さまが組み立てて下さいました。

  今、私たちの生活の中にロボットが登場します。人間はロボットを組み立てることが出来ても、命と心を持つ人間を作り出すことはできません。それは、全知全能の神さまにしかできないことです。

  神さまは、お母さんのお腹にいたあなたを見られ、あなたのことを神さまの書物にすべて記されました。私たちのために作られた日々、一日も立たないときから、神さまは、御計画を立ててこの世界に誕生させてくださったのです。

 このようになんでもできる全知全能の神さまが、2000年前、この世界に救い主を送る計画を立てて、実行してくださいました。

  

 このことが、ルカ福音書1章26節以下に記されています。天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に住むダビデ家のヨセフのいいなずけであるマリアのところに遣わされた。天使は、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 …」 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 …神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(同書1章26~38節)

 マリアは、結婚する前でしたが、神さまの力により、イエス様を身ごもります。神の子が人間となってこの世界に来て下さるのだと御使いから告げられたからです。

 それは、わたしたちには理解できない不思議なことでしたが、マリアは、「神さまにできないことは何一つない」という御使いの言葉を信じました。

 クリスマスは、なんでもおできになる神さまが、私たちを救うために、イエスさまを下さった、イエス様誕生の出来事であり、その誕生を祝うお祭りなのです。このクリスマス、イエスさまがわたしのために来られたことを考えながら、クリスマスをお祝いしましょう。

 神さま、わたしたちにクリスマス、イエスさまをくださりありがとうございます。神さまが私たちのために救い主をくださったことを考えながらクリスマスをお祝いします。ありがとうございました。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

                    (子どもの礼拝 終了)

 詩編139篇

  2018年もクリスマスの季節となりました。世界の動きを見ていると地球船宇宙号はどこに向かって動いているのかと考えざるを得ません。

 晩年の賀川豊彦は宇宙の目的という本を著していますが、その動機は、スラム街に暮らす賀川にとっての課題は、神さまがおられるのに何故、悪がはびこるのか?社会運動のかたわら、若い時から賀川が考え続けたのは、宇宙の仕組み、成り立ちでした。多くの学び、思索のなかで彼がたどり着いたのは、宇宙の法則性でした。太陽系の惑星の並び方と電子の構造、生物の血液の塩分濃度は、限りなく海水の塩分に近い、生物の進化は遺伝性を持つ。賀川が強調したのは、宇宙は単なる偶然で成り立つものではなく、一定の「法則性」によって成り立っている。その法則性といい、偉大な設計者なくして、この宇宙の成り立ちは説明できないということです。

         (「宇宙の目的」kindle版紹介より引用)

  詩編139篇、旧約の詩人は、その深い思索の中で全知全能の神についての洞察を語っている。この詩編の表題には、「私にとってあまりに不思議」、「神の前で私はどこに行くべきか」「絶句するに若くなき、素晴らしき我らの神」などと多岐にわたります。

  今日、私たちが学んだ1~6節は、神の全知、7~12節は、神の遍在、13~16節は、神の全能を歌っております。

  口語訳 詩編139篇 1~6節 神の全知

  主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません。

 

 あなたはわたしを深きところまで探り、知りつくされました。神は私が誰であるか知り尽くしておられます。それは、わたしがあなたの目の前で全く裸にされた状態ともいえます。そして、神さまがわたしたちの存在を信じていると云えましょう。

 あなたは私が起床し、夜、寝床に着くまでのことごとくの行動を知り、私たちの心の思いを知り、その行く道をも知っておられます。

 あなたは、種々の思いがわたしの心に入るはるか以前からそれを知っておられ、わたしは、口にするまで自分が何を云おうとしているのか、わたしには分からない。あなたは、私が口を開かないうちにわたしが言おうとしていることを知っている。私の信仰、不信仰のすべてについて知っている。

 私たちは、神の本質を知ることはできないのに、私たちの全てにおいて、神によって知られていると云う矛盾に置かれているのです。けれども様々な人生の経験において、神にぶつかり、叫び、神を意識することごとの繰り返しから、神へのまことの信仰が可能となるのではないでしょうか?

 

 7~12節 神の遍在 

 わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。「やみはわたしをおおい、わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。

 

 神さまを避けることはできません。教会から遠ざかっても、家出をしても、神さまから逃げることは出来ません。山奥に隠れても、海の底に潜っても、人工衛星にまで上り詰めても、神さまとの距離を遠ざけることはできません。西遊記の中で、孫悟空がお釈迦様の掌から逃れようと天翔けても、いつまでいってもお釈迦様の掌であったことを思いだします。神さまはいつでも、どこでも、私たちとであうことの

出来るお方なのです。5節の「あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。」なのです。

 神は遍く存在されるのです。しかし、ここで「わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。」旧約聖書は、來世の思想がはっきりしてなくて、死後どうなるか、陰府の思想しかないのです。そこはぼんやりした、静かなところ、死者のいる所という程度のものです。この詩編の作者は、神が否定するはずの陰府にも神は遍在するというのです。

 使徒信条にも主イエスは、「陰府にくだり」とあります。それは、死者の行く場所に行った、イエスの死を意味するものです。イエスの

復活がすべてを一変させました。

使徒言行録でペトロは、説教の中で「(ダビデは)キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』(詩編16篇10節)と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。」(使徒言行録2章1~32節)と述べておられます。

そして、イエス・キリストにおいて、復活の主イエス・キリストにより、死後の世界は、主が共におられるパラダイスになったのです。

 もう一つ、「やみはわたしをおおい、わたしを囲む光は夜となれ」この作者は、今光があるけれども、光などというのは癪に障るから、夜になってくれ、闇になってくれ、という風に言いたくなるひねくれた表現をしています。夜や闇も、神にとって否定的なことです。しかし、この詩人は、夜や闇を光に転換させる存在として神を告白するのです。闇は存在するのです。その実在する闇を光に転換するという形で働き、「夜も昼のように輝きます」と告白するのです。

 13~16節 神の全能 

 あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。 あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。

 人間の体ほど不思議なものはありません。わたしは1年半前に、左目網膜中心部静脈閉塞症で市大病院に、入院手術を受けました。脳梗塞が眼の中の静脈で起こり、静脈が詰まって血管が破れた状態です。病変部分には、神経がありませんから痛くも痒くもない。視力が落ちて気が付いたのです。網膜中心部にメスが入れられるようになったのは、最近のことです。顕微鏡下の手術、部分麻酔なので、主侍医と立ち合いの医者の会話が聞こえます。「もう少し先の方、そう、そう、血流が流れ始めた。」手術は成功しました。

 1時間ほどの手術、眼前はすごくきれいです。万華鏡を見ているようでした。

 こんな細部に静脈が走り、毛細血管が広がっている。目の構造の精緻さをかんがえさせられました。目の中だけでもこうです。

 人間の体のあらゆる部分には、不思議な仕組みがあります。それが神さまによって組立てられるのです。しかも出来上がらない胎児のうちからご存知なのです。子供の内臓も骨も全部神さまが組み立ててくださったのです。

 聖書の真理は、神の天地創造から始まり、新約のイエスに至ります。

イエスは天地創造を完成される方として告白されます。

 パウロは、コロサイ書1章15~20節で、「 御子(イエス)は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。 天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。 御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。 また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。 神は、御心のままに、満ち溢れる者を余すところなく御子のうちに宿らせ、1:20 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」と告白しております。  

 天地創造の御業に先だって生まれた御子イエスは、天地創造の時、創造主父なる神と共におられたという驚くべき言葉を語ります。その全知全能の神の御子が地上に来たり十字架に架けられ、万物はそれによって和解すると語りました。これが、クリスマス到来御子イエスの誕生の意味です。御子の誕生の意味を考えながら、万物が和解する平和の時を祈念したいと思います。