日本キリスト教団 東戸塚教会

2018.4.15「トマスの疑い」

Posted on 2018. 4. 15, 牧師: 杉村 和子

聖書 ヨハネによる福音書20章19~29節
 20:19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20:20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。 20:21イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 20:22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 20:23だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 20:24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 20:25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 20:26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20:27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 20:28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 20:29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

 日本では、イースター(復活祭)より、クリスマス(降誕祭)の方が知られています。イエスの死からの復活こそ、大事ですが、復活は良くわかりません。十字架で死んだのに復活した、弟子たちでさえ疑問を持ちました。
 イエスが十字架で死んだとき、弟子たちは逃げました。イエスはもうおられない、自分たちも捕らえられるかもしれない。彼らは家の戸に鍵をかけて声をひそめていました。そこへ、イエスが来て、「あなたがたに平和があるように。」と言われた。弟子たちは、それを見てイエスが復活したことを信じました。
 しかし、12弟子の一人トマスはそこにいなかった。他の弟子たちは、イエスを見た、復活なさったと云った。トマスは、そんな馬鹿なことがあるか?と言った。私たちもそこにいたらそう思ったかもしれない。
 トマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言った。弟子たちに現れたとき、イエスは、手とわき腹とをお見せになった。
この方は、本当にイエスなのか。トマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れて確認したい」と言った。
八日の後、イエスは、トマスに現れていった。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 イエスはトマスに、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」と言われた。これは、私たちへの言葉かもしれない。何だか難しいですね。 今の私達もイエス様をこの目で見ることは出来ません。でも、今もイエス様は私達と共にいて働いて下さるのです。ある時にはお友達や家族を通して、慰めたり励まして下さいます。

 72年前に、サン、テグジュベリは、「星の王子さま」を書いた。この本を読むと心がせつなくなる。
 金色の髪をした星の王子さまが、一生懸命世話をしていた一本のバラ、このバラが高飛車で王子を困らせた。その星を離れて、地球のアフリカで不時着したパイロットに王子がいままでのことを話す。沢山のバラの花を見た。自分の星の一本のバラ、それは皆と同じ普通のバラだ。
キツネが王子の前に現れた。仲良くなりたい。キツネは、王子を気に入り、なつかせてくださいといった。動物をなつかせる、餌をあげて、世話をする、絆をつくることだ。王子はキツネと仲良くなって、一輪のバラのことを話した。キツネは秘密を教えると云った。沢山のバラのバラと、一輪のバラは見た目は同じだが異なる。キツネは、簡単なこと、物事は心でみなくてはならない。大切なことは、目に見えない。 一輪のバラは、かけがえのない存在、大切に育ててきた。バラとの絆、愛情、大切な時間だった。別れキツネの気持ちを忘れない。
 砂漠で、パイロットは水を探し、やっと水を見つけた。水がこんなにおいしいとは、そして、砂漠の星空の美しさに見とれる。王子の姿が見えない。
 王子は、バラの待つ星に帰った。一緒に過ごした大切な時間を忘れるかって、パイロットにもキツネの心に生き続けていた。
 遠い所へ行った友、先に旅立った愛する者、つらい時に、イエスは忘れない。会いに来てくれる。イエスは、会いに来る。

 その後の使徒パウロは、イエスの復活を見ていない。では、どうして信じたのか。弟子たちが体験したことが真実であると信じたのだ。
 信じられなくても大丈夫、信じさせてくださいと祈れば、イエスが導いてくれる。小さい子供は、素直に信じられる。
 目に見えるものは信じやすい。目で見て安心する。経験する。歳をとってくると石橋を叩いて確認してゆく、納得して生きてゆく。百聞は一見に如かず。
 目の前の人を見ただけでは信じられない。どういう人か知る。知っていることが前提だ。弟子たちもイエスとの絆を築いてきた。しかし、イエスがどういう人か、十字架にかかった意味が分からなかった。
 イエスは、病気の人、差別されていた人を慰めていた。イエスは、神の御心を知っておられたのに。
 キツネとの交友、バラの世話、その時間は見えないけれど大切な時間。一輪のバラ、大切なものは思いやり、信じあう気持ちだ。
 イエスは、いつでもそばにいてくださる。再び帰ってきてくださった。目には見えないけれども、いまも、働いていてくださる。
 家族の思いやり、友人のやさしさ、教会のまじわりかもしれない。慰められたり、元気づけられたり、ほっとする。
 イエスさまは、そばにいてくださる。私たち一人一人大切な存在だ。独りぼっちではない。今も共にいるよと言ってくださる。
 イエスさまが大切な大事なお方と信じることが大切です。