日本キリスト教団 東戸塚教会

2018.9.16「信仰の実り」

Posted on 2018. 9. 18, 牧師: 杉村 和子

聖書 ペトロの手紙1 1章3~9節
 1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、1:4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。1:5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。1:6 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、1:7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。1:8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。1:9 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

 実りの秋ですが、農作物は、地震や豪雨にさらされ、災害のため被害を受けています。夏の酷暑がわたしたちを疲れさせている。
寒いとき寒く、暑いとき暑さが続いていた方が良い。心は喜びが続く方が良い。しかし、苦難を試練と捉えられればそれは感謝となる。
ペトロの手紙は、迫害の内にある小アジアの教会を激励するために書いたとされる。実際には弟子のシルワナが書いたとされる。ペトロの名において、苦難に在る人々に、キリスト者の在り方を示した。
8節 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。
わたしたちも同じです。
ペトロは、イエスの一番弟子で3年間イエスと共に伝道してきた。だから、イエスを信じられる。しかし、あなた方は、見たことがないのに信じている。
素晴らしいことである。しかし、ペトロも見ないで信ずる者にされたのだ。
 生前仕えたイエス、ペトロは、本当のイエスの心を知らない。自分たちの救いは、ローマ帝国の占領からの解放にあると信じ、イエスにその救いを期待し従っていた。イエスは、そのような政治指導者にならない。イエスは、社会からはじき出された人たちのために尽くした。
 ペトロは、イエスの弟子として、イエスと死ぬまで一緒にあると宣言した。しかし、イエスが捕らえられ、大祭司の官邸で裁判にかけられるとき、勇気をだしてついて行ったのに、周囲の人から、「あなたは、ナザレのイエスの仲間ではないか」と問われ、3度、イエスを知らないと否認した。このエピソードは有名だが、ペトロが本当のイエスを知ったのは、イエスの十字架の死の後だった。ペトロは、イエスを裏切ったことを悔い、故郷のガリラヤに帰った。 
 そのペトロに復活のイエスが現れ語った。食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。(ヨハネ福音書21章15節)
生前のイエスは、わたしは羊飼いである。羊飼いは、その羊のために命を捨てると云われた。
 イエスの十字架の死は、人を赦し、人を愛することの極致だ。ペトロは、復活の4イエスに出会い、イエスの生き生きとした思いを感じたに違いない。
 あなたがたが迫害を受け試練を受けているのは喜ばしいことだ。私たちは、十字架の苦難を受けたイエスによって私たちは救われた。何と素晴らしいことか。手紙を受けた人たちは励まされたに違いない。

 現在、日本刀が多くの人たちを魅了している。テレビで>刀鍛冶の青年が修行している姿を見た。二人で真っ赤に焼けた鉄を叩いてゆく。二人が呼吸を一致して叩き、精錬し、刀ができあがる。人生の歩みも同じだ。
 奴隷の地エジプトから救い出されたイスラエルの民は、その救いの出来事を記念して、毎年、過越しの祭りを守る。
 ペトロは、イエスに救われた喜びを弟子たちに語った。
 
 試練に大きい小さいはない。負うことのできない重荷、人生の行程で立てなくなり座り込んでいる。しかし、その時に主イエスが共にいてくださる。救われた思い、経験が、この繰り返しが信仰を強くする。
 イエス・キリストを見ることはできないが、見ないで信ずる喜びは、与えられている。
 
 イエスに出会い、信仰により人生が変わった。主が共におられ、共に励ましてくださる所に喜びがある。マイナスをプラスにできるのが信仰である。主に在って、共に悲しみ、喜ぶことが救いとなる。一歩一歩主と共に歩む。感謝して日々を歩みたい。