日本キリスト教団 東戸塚教会

2019.10.13「戦うエリヤ」

Posted on 2019. 10. 16, 牧師: 藤田 穣

聖書 列王記上18章20~29節
18:20 アハブはイスラエルのすべての人々に使いを送り、預言者たちをカルメル山に集めた。18:21 エリヤはすべての民に近づいて言った。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」民はひと言も答えなかった。18:22 エリヤは更に民に向かって言った。「わたしはただ一人、主の預言者として残った。バアルの預言者は四百五十人もいる。18:23 我々に二頭の雄牛を用意してもらいたい。彼らに一頭の雄牛を選ばせて、裂いて薪の上に載せ、火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の雄牛を同じようにして、薪の上に載せ、火をつけずにおく。 18:24 そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び、わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神こそ神であるはずだ。」民は皆、「それがいい」と答えた。18:25 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたたちは大勢だから、まずあなたたちが一頭の雄牛を選んで準備し、あなたたちの神の名を呼びなさい。火をつけてはならない。」18:26 彼らは与えられた雄牛を取って準備し、朝から真昼までバアルの名を呼び、「バアルよ、我々に答えてください」と祈った。しかし、声もなく答える者もなかった。彼らは築いた祭壇の周りを跳び回った。18:27 真昼ごろ、エリヤは彼らを嘲って言った。「大声で呼ぶがいい。バアルは神なのだから。神は不満なのか、それとも人目を避けているのか、旅にでも出ているのか。恐らく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう。」
18:28 彼らは大声を張り上げ、彼らのならわしに従って剣や槍で体を傷つけ、血を流すまでに至った。18:29 真昼を過ぎても、彼らは狂ったように叫び続け、献げ物をささげる時刻になった。しかし、声もなく答える者もなく、何の兆候もなかった。

北イスラエルの王国のアハブ王は、シドン王の王女イゼベルを王妃に迎えました。シドンは、バアル崇拝が盛んな所でした。イゼベルに導かれるようにアハブは、「バアルに仕え、それを拝んだのでした。バアルとは、イスラエルが移り住んだカナンの地の農業の神さまで、バアルという名は「主」を意味しました。イスラエルの神さまも主(ヤハウエ)です。アハブ王が、バアルを拝み、それに倣ったイスラエルの民の多くがイスラエルの神から離れ、バアルを拝みました。その時、ただ一人、アハブ王の前に立って、その悪を攻める預言者が現れました。エリヤです。エリヤは王の不信仰の裁きとして、数年雨が降らないと宣言しました。エリヤは、アハブ王に対し、「私の仕えてているイスラエルの神、主(ヤハウエ)は、生きておられる」(17章1節)主の前に立つエリヤは、地上の王の前に立っても恐れませんでした。
雨が降らなくなって、3年目に、神さまは、エリヤに仰いました。「エリヤ、アハブ王に会いに行きなさい。わたしは、もうすぐ雨を降らせる」 
エリヤは、アハブ王に会いにゆきました。「あっ、お前か、私を困らせる悪い奴、雨が降らないのはお前のせいだ。」エリヤは、恐れず答えました。「違います。雨が降らないのは、王さまのせいです。あなたが、本当の神さまに従わずに、バアルを拝み、王妃イゼベルがイスラエルの預言者を皆殺しにしたからです。今こそ、本当の神さまはどなたかをはっきりさせましょう。イスラエルの民をカルメル山に集めてください。」 
バアルの預言者との対決
カルメル山に、アハブ王とイスラエルの人たちが集まって来ました。エリヤは言いました。「あなたたちはいつまで迷っているのですか。イスラエルの神さまが本当の神さまだと思うなら、神様だけに従いなさい。バアルが神だと思うなら、バアルに従えばよい。」イスラエルの人は黙っていました。エリヤは、言いました。「神さまに仕えるイスラエルの預言者は私だけだ。バアルの預言者は、450人もいる。わたしとバアルの預言者たちと対決しよう。自分が信じている神さまに捧げものをして、お祈りをする。お祈りに応えて、天から火を降らせて、捧げものを焼いた方が本当の神だ。」皆は「それがいい」と答えました。
先ず、バアルの預言者たちが祭壇に捧げものの雄牛を置いてお祈りを始めました。「バアルの神よ、私たちの祈りに答えてください。この捧げものに火をつけてください。」朝から昼まで、バアルの預言者たちは飛んだり跳ねたりしながら、大声でバアルの名前を呼びました。しかし、何も起こりません。エリヤは、からかって言いました。「バアルはお昼寝中かな。それとも、お出かけ中かな。」バアルの預言者たちは、ますます」大声で「バアルよ、お応えください。」と叫びましたが、返事は有りません。
応えてくださる神さま
次はエリヤの番です。エリヤは、祭壇を築き、次に薪を並べ、捧げものの雄牛を薪の上に載せ、その上からジャーッと水を3回もかけました。それから、静かに祈りました。「生きておられる神さま、あなたこそ本当の神さまであることが分かるように、わたしの祈りに応えてください。」と祈りました。
すると、たちまち、天から火が降ってきて、捧げものを焼き尽くしました。これを見たイスラエルの人たちは地面にひれ伏して、「エリヤの仕えている神さまが本当の神さまです。」と叫びました。エリヤは、アハブ王に「大雨が降る」と告げて、祈りをしました。すると、海の方に小さな雲があらわれました。やがて、雲は」空一面に広がり、風が吹き始め、待望の雨が降り始めたのでした。

神さま、エリヤのお祈りに応えて下さり、ありがとうございました。台風19号の被害で苦しんでいる人たちを守り、支えてください。いつも、神様を信じております。イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン
                (子どもの礼拝  終了)

預言者エリヤの時代
紀元前922年、イスラエル王国は二つに分かれ、北王国はイスラエル、南王国はユダになりました。それから50年、オムリの子アハブがイスラエルの王位につきました。聖書に、「オムリの子アハブは彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った。」(列王上16章30節)あります。列王記は、アハブのことを北王国イスラエル史上最悪の王と断言しています。アハブが断罪される理由が二つあります。第1に、アハブは、北方沿岸の都市シドンの王女イゼベルと結婚したことです。第2には、北王国の都サマリアにイゼベルの信仰するバアルの神殿を建立し、バアルの配偶者女神アシュラの像を建てさせ、バアル崇拝を進め、イスラエルの預言者たちを殺しました。
こうして主(ヤハウエ)の怒りを招いたアハブ王の前に、預言者エリヤが登場します。エリヤは預言者の先駆者と言われます。預言者は、神の言(意志)を預かって伝える者ですが、エリヤは、言葉を預かるだけでなく、神の意志(御旨)に従って行動した人でした。彼はバアル信仰と対決し、イスラエルの信仰、ヤハウエ信仰を守ります。ギレアドの住民であるエリヤは、アハブ王の前に立ち言った。「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、この国に露も降りず、雨も降らないであろう。」(17章1節)
予言の通り、イスラエルはひどい旱魃と飢饉に襲われました。王の怒りを前に、エリヤは、神の言葉により、ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を隠し、 その川の水を飲み、烏に養われた。カラスは、朝にパンと肉を、夕方にもパンと肉を運んでくれました。
飢饉が3年目を迎えた時、神の言葉がエリヤに臨みました。「アハブ王のところに行きなさい。そうしたら、わたしは雨を降らせよう。預言者エリヤがアハブ王の前に姿を現した。アハブ王はエリヤを見ると、「お前か、イスラエルを苦しめる者よ」と言った。 エリヤは言った。「わたしではなく、主の戒めを捨て、バアルに従っているあなたとあなたの父の家こそ、イスラエルを苦しめている。」と答えました。雨が降らなくなったのは、エリヤのせいではなく、アハブのバアル崇拝、偶像崇拝の罪、そして、イスラエルの預言者を皆殺しにしたためでした。主はアハブと民を悔い改めに導こうとしておられたのに、彼らは、頑なに、バアルやアシュラを礼拝し続けたのでした。
エリヤは続けて言った。「今イスラエルのすべての人々を、イゼベルの食卓に着く四百五十人のバアルの預言者、四百人のアシェラの預言者と共に、カルメル山に集め、わたしの前に出そろうように使いを送っていただきたい。」そこでアハブ王は、イスラエルの人たち、預言者たちにカルメル山に集まるように命じたのです。アハブはイスラエルのすべての人々に使いを送り、預言者たちをカルメル山に集めました。
エリヤはすべての民に近づいて言った。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」民はひと言も答えなかった。 エリヤは更に民に向かって言った。「わたしはただ一人、主の預言者として残った。バアルの預言者は四百五十人もいる。我々に二頭の雄牛を用意してもらいたい。彼らに一頭の雄牛を選ばせて、裂いて薪の上に載せ、火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の雄牛を同じようにして、薪の上に載せ、火をつけずにおく。 18:24 そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び、わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神こそ神であるはずだ。」民は皆、「それがいい」と答えた。
何故、イスラエルの預言者は一人なのか。アハブの宮廷長オバドヤは、心から主を畏れ敬う人で、王妃イゼベルが主の預言者を切り殺したとき、百人の預言者を救い出し、五十人ずつ洞穴にかくまったと列王記にあります。しかし、その命運はしるされていません。エリヤは、「わたしただ一人が主の預言者として残された。」と云いました。しかし、神が働かれる世界では、預言者一人が残っているだけで十分なのです。エリヤは、450人のバアルの預言者と闘いました。バアルの預言者は、神の火を呼び起こすのに、飛んだり跳ねたり、朝から昼まで何度も祈り求めました。彼らは、自分たちの行いがバアルの導きに立っていることを確認し、バアル・主の栄光が表わされていることを確認し、バアルが働かれることを待ち望みました。その努力の回数に、彼らの意味がありました。
しかし、真実の神が祈りに答えて下さるのは、人間が回数を重ねて祈ったからではありません。神が祈りに応えられるのは、私たちが頑張ったからではなく、神が愛と憐れみをもって、私たちの必要に答えてくださるからです。私たちの神は、生きて働いてくださいます。
勝利の後、18:40 エリヤは、「バアルの預言者どもを捕らえよ。一人も逃がしてはならない」と民に命じた。民が彼らを捕らえると、エリヤは彼らをキション川に連れて行って殺した。
逃亡するエリヤ
この報告を聞いたイゼベルは、激怒し、エリヤに使者を送ってこう言わせた。「わたしが明日のこの時刻までに、あなたの命をあの預言者たちの一人の命のようにしていなければ、神々が幾重にもわたしを罰してくださるように。」 それを聞いたエリヤは恐れ、直ちに逃げた。ユダのベエル・シェバに来て、 エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
 エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」 主はエリヤに言われた。…「しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」(19章18節)
 エリヤは、一人で千人のバアルの預言者、アシュラの預言者を相手に勝利しました。しかし、イゼベルに追われて逃亡者となりました。彼は、今は神に「命を取ってください」と死を願う敗北者です。エリヤは、ひとり私だけが生き残りましたと心境を吐露する。エリヤは、一人残されたのを感謝しているのではない。徹底的破壊を体験し、敗残兵の心境をもって立っているのです。神に熱心な者ほど、神の裁きを体験し、エリヤは敗れはて、くずおれているのです。しかし、混迷と混乱の戦いの中で、神は、エリヤに、「イスラエルに7千人を残す」と約束されました。残りの者は、一般的には敗残者を云うが、預言者イザヤ以降、神以外に根拠を持たない希望に生きる人に置き換えられました。残りの者の根拠は、人間的資質や可能性にあるのではなく、残りの者の義さにあるのではない。神の熱心によるのです。「 エルサレムから、残った者がシオンの山から、難を免れた者が現れ出る。万軍の主の熱情がこれを成就される。」
(イザヤ書37章32節)
これを受けて、パウロはローマ書のなかで、「11:4 しかし、神はエリヤに何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。 同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。 もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。」(ローマ書11章4~6節)残りの者の根拠を神の恵みに置いています。
預言者エリヤは、身を粉にして働き、自ら敗北者として敗れ果てて立ちました。そのなかで、神さまの約束を聞き取り、神による希望に生きたのでした。残りの者は、神の民を国家ではなく、教団として生かした、それは、今日の教会の在り方の原点だと旧約学の左近淑先生はいっておられる。教会は、この残りの者を受け継いでいる。
そして、列王記が教えてくれるのは、北王国イスラエルの終焉です。聖書は、政治の表舞台を生き残りの民に与えるのです。その後に残されたのは、預言者が言葉をもって神の意思を伝える時代です。

主は生きておられる
エリヤの力の根源は、「主は生きておられる」です。生きて働く主がエリヤと共に、バアル信仰に対決してくださったのです。
17:1 ギレアドの住民である、ティシュベ人エリヤはアハブに言った。「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう。」
私たちには主イエス・キリストが共におられ、働いてくださいます。主イエスは、言われました。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」(ヨハネ福音書5章17節) パウロは、ヘブル書13章8節で「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」と証しました。そのイエス・キリストは、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ福音書28章20節)との約束を昨日も今日も、また永遠に果たしてくださいます。