日本キリスト教団 東戸塚教会

2019.12.29「他の道を通って」

Posted on 2020. 1. 1, 牧師: 藤田 穣

聖書 マタイによる福音書2章1~12節
02:01イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 02:02言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 02:03これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 02:04王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 02:05彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 02:06『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 02:07そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 02:08そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 02:09彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 02:10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 02:11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 02:12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

本能寺の変 明智光秀の通った道
本能寺の変の前の日、明智光秀は、1万3000の軍勢を率いて、丹波亀山城を午後6時に出発したと云われます。本能寺までは22㎞の道のりです。NHKの歴史・ヒストリアでどの道を通って京都市内に入ったのか、番組で検証をしておりました。大きな道としては、山陰道、それに並行する明智越えと言われる山道かをケーススタデイしました。結論は、1万3千の大軍の山越えの道は実現不可、山陰道を京都に向かったとの説が有力です。明智の大軍の動きが京に知られないように、山陰道を通行していた者は、皆、切り殺して進軍したたと云われます。今日のベツレヘムの道には、ヘロデ大王の殺意が漂っておりました。

二人の王
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。東の方から、占星術の学者たちがエルサレムに来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」
イエス誕生の時代、ユダヤを治めていたのは、ヘロデ大王でした。彼はBC40年から死去するBC4年まで、ユダヤを治めました。ヘロデは、エドム人(ヤコブの兄エサウの子孫)とユダヤ人の間に生まれたので、純粋なユダヤ人でないという劣等感がありました。彼は、パレスチナの内乱でローマのために功績をあげたので、ローマ皇帝アウグストウスの信用を得て、BC47年、ユダヤ領主に任命され、BC40年には、大王の称号を受けたのです。彼はパレスチナの平和を維持し、エルサレム神殿の造営を果たします。彼は、自分の正当性を図るべく、ハスモン王家の血筋であるマリアンネを王妃に迎えております。しかし、ヘロデの性格には致命的な欠陥がありました。それは、狂気に近いほどの猜疑心です。自分の地位を脅かす者として、身内の王妃マリアンネとその母、二人の息子を殺害している。ローマ皇帝アウグストウスは「ヘロデの息子であるより、ヘロデの豚である方が安全だ。」と皮肉ったという。ヨセフスの古代史には、「ヘロデ自身が死ぬときには、ユダヤの全所帯の家族一人を殉死さえ、自分の死を悲しむべきだ」と命じたと記している。このヘロデの残忍な独裁政治は、ユダヤの国民にも不安を与えていた。老年になって更に、猜疑心の増したヘロデの治世に、東方の占星術の学者たちが訪れ、「ユダヤ人の王」の誕生がもたらされます。博士たちが呼んだ「ユダヤ人の王」という称号は、ローマ総督ピラトがイエスを十字架につけたとき罪状書きに記した称号です。イエスの誕生からすでに十字架の死が連想されているのです。ほんの短い間、ヘロデ王とイエス・キリストという後のユダヤの王が同時に存在したのでした。幼子イエスは、ヘロデ大王のような国王ではありませんでした。
東の方から来たという言葉は、様々な含蓄を持つ言葉です。かって新バビロンとかペルシャと呼ばれた地域でした。ユダヤ人にとっては、かっての囚われの地、多くの国民がバビロンに捕囚されました。東方の博士たちは、「東の方でその方の星を見たので拝みにまいりました」と云いました。
この星とは、「ヤコブから一つの星が上がる」という民数記24章17節にあるバラムの預言と結び付いたものでした。バビロン捕囚は、バビロンにとって、ユダヤ人の文化、宗教の影響を受ける糸口になったのではないでしょうか。
当時の占星術の学者たちは、当時の学問に、高い教養を持ち、天文学、占星術に秀でた人達でした。古代オリエントでは、星の運行が歴史を導くと考えられていました。占星術の学者たちが見た明るい星は何か。色々な説があります。BC11年、ハレー彗星が閃光を発して空を流れたのが見えたという。BC7年には土星と木星が大接近して、強烈な光を放ったという。BC5年から2年には、エジプトのメソリという月の最初の日に、今でも一番明るい星シリウスが日の出に上って異常な光を放ったという。メソリとは、王子の誕生という意味であった。学者たちの見た星はどの星であったろうか?
王の誕生を待ち望む気運は、ローマの歴史学者スエトニウスも「東方諸国一帯に昔から揺るがぬ信仰があった。それは、その頃、ユダヤから世界を支配する者が出現するというものであった。」(「ヴェスバニアシヌス皇帝の生涯」より)

星を頼りに旅してきた博士たちは、エルサレムの近くで星を見失ったのであろう。考えあぐねた結果、「王は宮殿に生まれる」と考え、ヘロデ大王の宮殿を訪ねたのでしょう。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。自分の地位を脅かす者の誕生と畏れた。エルサレムの人々も皆、同様に不安を覚えた。猜疑心御強いヘロデが何をしでかすか。その不安は、後で的中する。13節以降に、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させたとある。
4節 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者ミカがこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
場所が明確になったのに、ヘロデも祭司長たちも動こうとしない。祭司長、律法学者は、神殿の祭儀や律法の解釈に心を奪われて、ユダヤ人の王が生まれたというのに何の関心も示さない。
ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 博士たちがベツレヘムに向かって出発すると、再びあの輝く星が先立って進み、幼子のいる場所で留まった。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝んだ。
オリエントの慣習ではひれ伏して拝するのは王の前でのみ行われた。彼らが拝するのは、馬小屋でマリアに抱かれている幼子である。博士たちは、イエスの貧しさに驚き、何故、逃げ帰らなかったのか。不思議である。神の導きとしか思えない。博士たちの敬虔と謙遜、神の選民であるユダヤ人聖職者の冷淡、ヘロデの敵意と殺意がコントラストを描く。
さて、博士たちの数は3人が普通になっているが、聖書に人数はない。後の東方教会の伝説では、博士が王になっている。そして、カスパル、メルキオール、バルサザールという名前が付いた。メルキオールは、ひげをはやした白髪の老人で黄金をささげた人、カスパルは若くてひげがなく、赤ら顔で乳香をささげた人、バルサザールは浅黒く、あごに生えたばかりのひげがあった。この人が没薬をささげた。博士たちの贈り物は、イエスにふさわしいものであった。黄金は王への贈り物である。黄金は、金属の王であるから人間の王にもふさわしい。
イエスは王として生まれたが、彼は力ではなく、愛によって人の心を乳香は祭司への贈り物である。芳しい乳香は、神殿において礼拝と犠牲をささげる時に用いられた。祭司のラテン語は、ポンティフェクスで橋を架ける人の意味である。祭司は、神と人との間を取り持ち、その間に橋を架ける人である。 没薬は死者への贈り物である。没薬は死体にぬるためのものであった。イエスは、十字架に死ぬためにこられたのだ。

博士たちの目的は達せられた。帰路につこうとした、博士たちは、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げを受けた。彼らは、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
マタイのイエスの誕生に関し、その行動を決定づけるのは夢のお告げである。夢が人間を導いている。 博士たちは、命令でエルサレムのヘロデの所に立ち寄ってから帰国する予定であった。博士たちがイエスの居場所を報告すれば、イエスは殺されてしまう。ヘロデの目論見を神は「夢」で打ち破ったのです。夢による神の介入により、博士たちは、幼子イエスに会い、まことの真理を確証したのです。エルサレムに寄らず、別の道を通ってバビロンに帰って行ったのでした。博士たちは、彼らが目的としていた、
「東方で見た星」の示す、メシアの誕生を確認し、喜びのうちに帰って行った。素晴らしいミッション・コンプリートといえよう。
博士たちが、イエスを拝した後、ヘロデに代表されるエルサレムの権力者の道に戻ることなく、他の道、別の道を歩む者とされたのです。「人の心には多くの計画がある。しかし、主の御旨のみが実現する。」(箴言19章21節) 別の道、他の道は、悲しみ悩み、罪の道ではなく、権力に追従する道でもなく、喜び、救い、自由の道でした。ヘロデは、博士たちの報告をいつまでも待つわけにいかず、ベツレヘム周辺の2歳以下の嬰児・赤子を殺す命令を出す。その前夜、ヨセフに天使が現れて、エジプトに逃げよとのお告げがあり、間一髪、ヘロデの毒牙から守られたのでした。
私たちも人生の中で、選択を迫られる場面がありましょう。先ず主の御旨に、神さまに聴く心を持ちたいと願います。