日本キリスト教団 東戸塚教会

2019.7.14「イエス様を信じたエチオピア人」

Posted on 2019. 7. 15, 牧師: 藤田 穣

聖書 使徒言行録8章30~40節
08:30フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。08:31宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。 08:32彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。 08:33卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」 08:34宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」 08:35そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 08:36道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 08:37*フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。 08:38そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。 08:39彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。 08:40フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。

フィリポのサマリア伝道
先週、教会学校では、イエス様のために命をかけたステファノさんのことを学びました。今日は、ステファノさんと同じ時に教会の役員になったフィリポさんについてお話しします。
ステファノが迫害で死んだ後、エルサレムでのクリスチャンに対する迫害が激しくなり、フィリポは、エルサレムから逃れ、サマリアの町を巡りながらイエス様のことを伝えました。足が不自由な人や病気の人が来ると、フィリポは、神さまに、「この人の病気を治してください」とお祈りをしました。すると、みんな元気になり、足の不自由な人は歩けるようになり、病気の人は治りました。みんなフィリポを信頼するようになり、熱心に福音の話に耳を傾けました。そして、多くの人がイエス様を信じて、サマリアの町は喜びであふれました。
神さまの命令
ところが、ある日、神さまのお使いが現れて、フィリポに言いました。南の方にエルサレムからガザに向かう道があります。「その道に行きなさい」フィリポは、「はい、わかりました」と答えて、南の方に向かって歩き始めました。そこは荒れ野で寂しい所でした。すると、道を行く立派な馬車が見えました。乗っている人は、何かの巻物を開いて読んでいます。この人は、エチオピアの女王に仕える役人で、外国人でしたが、イスラエルの神さまを敬う人で、エルサレムの神殿で礼拝をささげて、エチオピアに帰るところでした。
神さまのお使いがフィリポに言いました。「さあ、あの馬車と一緒に行きなさい」「はい、わかりました」
エチオピア人に教える
フィリポは馬車に近づくと、巻物の聖書を読み上げている声が聞こえました・「読んでいるところの意味が分かりますか?」フィリポが声を掛けると、役人は答えました。「いいえ、教えてくれる人がいないので、良く分からないのです。」「教えてあげましょうか」「えっ、それは有難い。どうぞ、馬車に乗って教えてください」フィリポは、馬車に乗って、役人の隣に座りました。
「このイザヤ書のところは、誰のことが書いてあるのですか?」「イエス様のことですよ。イエス様は、私たちの罪を赦すために、わたしたちの代わりに十字架にかけられ、死なれました。そして、イエス様は死から甦り、今も生きておられます。イエス様を信じるなら、誰でも罪が許され、神の子とされ、天国に行くことができます。」役人は熱心にフィリポの話を聞き、「私もイエス様を信じます。」と云いました。道を進んでゆくと、水辺があったので、「私にバプテスマ(洗礼)を授けてください」と願いました。フィリポは、役人に、イエス様を信じたしるしのバプテスマを授けました。イエス様を信じたエチオピア人は喜んで、国に帰ってゆきました。その後、エチオピアは、アフリカ最古のキリスト教国になりました。
フィリポは、それからも、あっちの町やこっちの町に行って、「イエス様は、救い主です。イエス様を信じなさい。」と教えました。大勢の人がイエスさまを信じました。

お祈りします。
「神さま、イエス様のことをもっと教えてください。わたしたちも、まわりのお友達に話すことができますように。イエス様のお名前によってお祈りします。               アーメン
(子どもの礼拝 終了)
重複しますが、いくつかのことを話します。
フィリポ
8章の前半には、フィリポのサマリア伝道の記事があります。ステファノの殉教後、初代教会・エルサレム教会のステファノのようにギリシャ語を話すユダヤ人に対するユダヤ教徒からの迫害がひどくなりました。ヘブル語を話すユダヤ人使徒、ペトロやヨハネ等はエルサレムに残ることが出来ました。ギリシャ語を話すクリスチャンたち、多くの人がやむを得ずエルサレムを離れ、散らされてゆきました。ステファノと共に7人の執事の一人に選ばれたフィリポもそうでした。12弟子の中のフィリポとは別人です。このフィリポたちユダヤ人クリスチャンは、逃げのびてサマリアの町を巡り、人々にイエス・キリストを宣べ伝え始めました。フィリポは、あのステファノと同じように大胆に福音を語りました。

サマリアは、北イスラエルがアッシリアに滅ぼされたとき、その占領政策により、民族の混血を強いられ、血の純潔を尊ぶユダの人々から蔑視されました。フィリポの時代には、ユダヤ人とサマリア人の付き合いはありませんでした。しかし、イエスの遺言とも言うべき、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」の言葉はフィリポたちに生きていました。

フィリポは大胆にキリストの福音を伝えました。また、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちを悪霊から解放させ、多くの中風患者や足の不自由な人をいやしたのでした。フィリポのメッセージと業を見聞きし、サマリア人たちがぞくぞく信仰に入ったのです。サマリアで人気のあった魔術師シモンさえ、フィリポの奇跡を見て驚き、信じてバプテスマを受けたのでした。エルサレムの使徒たちは、サマリアの人々が、神の言葉を受け入れたことを聴き、ペトロとヨハネを遣わしました。サマリアの人たちは、フィリポによって洗礼をうけましたが、聖霊は誰も受けていませんでした。ペトロが説教で述べた、「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」この賜物の聖霊です。使徒ペトロとヨハネの祈りと按手によってサマリアの信徒に聖霊がくだりました。

エチオピア人に福音を語る
しかし、主の使いがフィリポに告げました。「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道でした。 フィリポはすぐ出かけて行きました。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中でした。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していました。すると、聖霊がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言言いました。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と聞きました。

フィリポの伝道は、サマリアだけにとどまりません。エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理している宦官でした。

エチオピア
エチオアピアというと何を思い浮かべるでしょうか。私は。1964年の東京オリンピックのマラソン、裸足で優勝したアベベのことを思います。エチオピアは、東アフリカの国で、東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北を北スーダンに囲まれた国で、アフリカ最古の独立国です。当時のエチオピアは、北スーダンあたりにあった王国でした。
エチオピアは、ギリシャ語のエチオプス(日に焼けた)に由来します。聖書との関係でいえば、ソロモンとシバの女王の血筋を受け継ぐ王国が栄えたり、キリスト教の一派であるコプト教が現在も国の宗教である。
聖書のこの時代は、隣国のスーダンがエチオピア領であったらしい。
代々、王朝が続いており、宮廷には宦官が役人として仕えていたのであろう。[馬車に乗って一緒に座ってください。]フィリポは、宦官の隣に座りました。この箇所、「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。 08:33卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」これは、イザヤ書53章7~8節の「苦難の僕」と言われる箇所です。
宦官は、フィリポに向かって、「ここで預言者は誰のことを言ってい
るのですか。自分のことですか?ほかの人のことですか?」「問うは答えの半ば」という諺があります。質問には、答えの半分が入っているという意味です。このエチオピア人の質問には、答えの大半がつまっております。「この預言者の言葉は、預言者自身のことではありません。ここに語られている苦難の僕こそ、十字架上で全人類のため、代わってその罪を負って死んだナザレのイエスに他ならないことを明らかにしたのです。イエス・キリストは、私たちのために十字架に架かり、死んで3日目に復活したこと、イエス・キリストを救い主と信じて告白し、洗礼を受けるならば、罪を赦されて永遠の命を受け継ぐ者となることを、確信のうちにこの宦官に伝えたのでした。宦官は、フィリポの言葉から、旧約聖書の預言がイエス・キリストによって実現されたること、イエスの十字架が自分のためであることを知りました。
復活の主イエスがエマオ途上で、二人の弟子に聖書を解き明かしてく
ださったとき、その二人は「心が燃える」経験をしたとルカは記しています。(ルカ福音書24章32節) フィリポの説明を聞いたこのエチオピアの宦官もそのように感じたのでしょう。
宦官は、水辺を見つけて、「ここに水があります。洗礼を受けるのに、
何か差支えがあるでしょうか」この聖書箇所に37節が欠落しております。それは後から書き加えられたとして削除されました。使徒言行録のおわりを見てください。(新約272頁)です。
8章37節としてフィリポが「真心から信じておられるなら差支えありません。」というと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えたとあります。
この対話がなくても、「洗礼を受けたい」というこの宦官の意思表示に、キリストを信じる信仰を読み取ることができます。
フィリポが、宦官に洗礼を授けると、宦官は喜びに満たされてエチオ
ピアに帰って行きました。

ここに、初代教会の伝道の仕方が示されます。何を宣べ伝えたのか。そこにあるのは、旧約聖書だけです。彼らは、天地創造の神をつたえたのではありません。彼らが伝えたのは、イザヤ書53章のが預言し、指し示しているお方のことです。イエス・キリストの十字架の問題です。そのことで、エチオピア人の最短の告白、受洗につながったのです。
神は、信徒伝道者ともいうべきフィリポを用いて、福音を伝えさせま
した。フィリポは、聖書を手引きする者として活躍しました。聖書を手引きし、解き明かすことは、私たちクリスチャン一人一人に託されていることです。この時代、神さまは、私たち一人一人をどこに遣わして、どのようなキリストの救いを伝えさせようとしているのでしょうか。そのことを良く理解する心を与えられたいと願います。