日本キリスト教団 東戸塚教会

2019.8.4「十字架への旅路」

Posted on 2019. 8. 5, 牧師: 藤田 穰

聖書 ルカによる福音書9章51~56節
  09:51イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。 09:52そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。 09:53しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。 09:54弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。 09:55イエスは振り向いて二人を戒められた。 09:56そして、一行は別の村に行った。

 平和聖日
 日本の第二次大戦を「数学で戦争を止めようとした男」を描いた映画「アルキメデスの大戦」を観ました。時代は、1933年・昭和8年のことです。これを溯る1905年、日本は、日露戦争の勝利でロシアが清朝から租借していた南満州の権益を獲得しました、翌1906年南満州鉄道を建設、鉄道守備隊を置きます。これが後の関東軍になります。1931年、満州鉄道柳条湖付近で鉄道爆破事件が起きる。満州事変です。後に、関東軍の自作自演の事件と判明しましたが、関東軍は中華民国の張学良の仕業として、他たちに、軍事行動に移り、満州全土を占領、翌1932年、日本は、清朝最後の皇帝愛新覚羅薄儀を擁立、満州国を建国します。中華民国はそれを不法として国際連盟に提訴、国際連盟は、1933年満州国の独立を認めない決議を採択した。これを不服とした日本は、国際連盟を脱退した。この結果、日本は、世界の孤児として、欧米列強と対峙することになった。日本は、第2次大戦に向けて追い込まれてゆきます。
 この昭和8年、1933年、日本帝国海軍上層部は、巨大戦艦大和の建造を計画していました。この巨大戦艦主義に対し、山本五十六少将等は、今後の戦争が、発達著しい航空機を中心とする空海戦となることを予測、航空母艦の建造を提案し対立します。この2案の審議にあたり、巨大な戦艦「大和」の見積額が、航空母艦より安く算出されていた。戦艦「大和」建造にかかわる莫大な費用を山本等は算出、「大和」建造に関する不正を暴くべく、その証明を若き天才数学者櫂直に依頼する。彼は、軍隊嫌いだったが、山本の「巨大戦艦を建造すれば、その力を過信した日本は、必ず戦争を始める」の言葉に動かされ、海軍中枢部に入り、頭脳を駆使して、巨大戦艦建造計画の欠陥を証明、この建造計画は中止となる。というところまでが映画です。
しかし、その後の歴史、日本海軍は、欧米の新型戦艦に対抗すべく、山本五十六等の航空主兵論を抑え、巨大戦艦「大和」や「武蔵」が、建造されました。大和は、1941年進水、連合艦隊の旗艦となりました。全長263m、排水量72,800tの巨大戦艦であった。1942年ミッドウエイ海戦、1944年マリアナ海戦に投入されたが、大きな戦火はあげられなかった。1945年4月7日、海軍特攻として片道燃料で沖縄戦に向かう途中、鹿児島県坊ノ岬沖で、制海・制空権を制した米軍艦載機の攻撃により沈没した。3000人が大和と運命を共にしました。生存者は276人に過ぎませんでした。
 「大和」から奇跡的に生還して、後にクリスチャンになった吉田満(東大法学部在学中学徒出陣・海軍少尉・当時21歳)は、「戦艦大和の最後」を著しました。その中で「わが短き生涯」とする遺言ともいうべき一文を書いている。当時の若者の心境が伺えます。
 「これより敵地に入る。右に九州、左に四国、しかも制海・制空権を占めらる 潜水艦に対し電波哨戒を始む 徹宵哨戒なるべし ただ全力をもって戦わんのみ 中略 本艦の進路を基準に、家郷(故郷)の方向を推定して正対するや 手すりを握りしめ頭を 垂れる 父、母、姉、一年前陣没して今は亡き兄、明らかにわがみ前に立ち給う さらに、知己、師友、数々の瞳、面差し、網膜をよぎりて消ゆ わが短き生涯に忘れがたき人々よ それらすべての姿、眼界をおおい、身近くまのあたりに拝す 色もなき幻なれど いずれも寂しげなる微笑はまさに 彷彿たり 「有難うございました」唇に覚えず呟きを繰り返す 唇 間欠して痙攣を刻む 幼くほしいままなるこのわれを よくぞ許し 交わり給いし人々 そのご厚志,庇護、さらに鞭撻 われ死なん 易き死の道を得たり 死は安楽なり 無為への逃避なり 
死に恵まれず なお生を強いられる人よ 明日よりの日々をいかに耐
えいかに忍び給うや その艱苦 わがはかり知るところに非ず
 戦地に向かう当時の若者と生き残った者の思いが伺える。
生きの残った者の責任としてどう生きるべきか 後にカトリック新聞のなかで、吉田は、「わたしは一日生きることが、一日死に近づくことであることを、冷静に受け止めたい 正しく生きたい、死とともに生き続けたい、いつか死があたえられるであろう」 と記している。
死んだ戦友の生と死を背負いつつ一日一日を生きることか。

この8月の第1週の日曜日を日本キリスト教団では、平和聖日と定め、
平和を祈る日としています。今週は、74年前の8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾が投下され、多くの犠牲者がでました。8月15日には、昭和天皇が終戦の詔勅を読み上げ、無条件降伏をしました。 広島の原爆慰霊碑には、「安らかに眠ってください。二度と過ちは繰り返しませんから」と刻まれています。これは、原爆の犠牲者に対する核兵器禁止の平和を誓うものですが、それは、広島のみならず日本中が世界中の人々が誓うべきものです。しかし、この8月2日、米国とロシアの間で結ばれていたINF中距離核兵器全廃条約が失効しました。この条約に入らない中国は独自に核兵器を開発、米国、ロシアをしのぐ勢いです。今後、米国、ロシアも核軍拡にかじを切ろうとしております。核兵器禁止の一助となる協定が破れ、世界平和の願いも逆方向に捻じ曲げられようとしております。早期に新しい核軍縮協定の締結が望まれるところです。
この時に、私たちは、平和の願いを、祈りを声高くしたいと思います。戦争は、無差別の人間存在の否定、隣人否定です。喧嘩は戦争の始まりです。絶対、起こしてはなりません。

エルサレムを目指して
ルカによる福音書は、ガリラヤでのイエスの働きに続き、ここから、イ
エスがガリラヤからエルサレムに向かいます。エルサレムに向かうことは、ルカ福音書9章22節、「(イエスは弟子たちに」次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」の受難預言によって示される。イエスは、神の御計画を成就するため、受難を決意し、ひたすらそれに向かって進まれるのです。
51節、イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう
決意を固められた。とあります。天にあげられる日々は、昇天の日だけでなく、昇天に至る受難と死と復活をそこに含んでおります。エルサレムへの旅は、イエスの受難の日が近づいたためと理解される。既に、ガリラヤでの使命を終えたイエスは、エルサレムにおける最後の使命に向かわれる。
エルサレムに向かう決意と訳された言葉は、直訳すれば、「エルサレム
に行くべくその顔を向けた」である。「顔を向ける」とは、あることをする決意を示す、イエスがエルサレムに向かって死ぬ決意をされ、そのただ一つのことに向かって敢然として進まれたことを語る。これは、「イエスはエルサレムに行くために顔を確固として向けた」即ち、決意したのでした。 その決死の覚悟が伝わってくる。
 問題は異なるが吉本興行の社長と芸人は二人の記者会見の差がそれである。二人の芸人は自分の過ちを認め、謝罪のため引退覚悟で会見に臨んだ。しかし、社長は5時間半もノラり、クラリとこの事案から逃げているように見えた。二人の芸人のその必死の思いは顔に現れていた。
E・シュヴァイツアーは、この表現を、イザヤ書50章6節以下の言葉見
ました。先ほど司会者に呼んでいただいた招きの言葉である。「打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。 主なる神が助けてくださるから、わたしはそれを嘲りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている、わたしが辱められることはない、と。 わたしの正しさを認める方は近くいます。  (50章6~8節a)
これは、主の僕の歌と言われる一節である。この主の僕の受ける苦しみ
は神の意志によるものであり、神が助けてくださるから、何があろうと、進んでその苦しみを受ける決意が示されます。
ルカは、エルサレムに向かうイエスの姿に、この主の僕の姿を見たに違いない。何があろうと十字架目指して進む、サマリア人に歓迎されなくても目的に向かって一直線に進むのです。覚悟のほどを見ます。
そのような決意を52年前、教団の戦争責任告白をした鈴木正久議長にみる。わたしは、今年で伝道者になって50年になります。1969年伝道師の準允を受領後、教団の新任補教師研修が伊豆の天木山荘で行われました。教団三役が出席しました。当時の教団議長は、鈴木正久牧師(西片町教会)でした。この2年前の1967年、教団議長声明で第二次大戦下における教団の戦争責任告白を発表されておりました。君たち、戦績告白を知っているか。聞いたことのある人はいましたが、内容を知っている人はいませんでした。議長から、教団教師として自覚が足りないとひどく叱られました。  
その2か月後の7月、鈴木議長は、末期のすい臓がんのため天に召されました。教団議長として多忙を極め、身体の不調を訴えた時には、既に手遅れでした。私たち新米教師に迫った鈴木正久議長はは、大きな覚悟のもと、「目を覚ましていなさい」とわたしたちを質したのだと思います。
 鈴木議長が心血を注いだ戦争責任告白 第二次世界大戦における日本基督教団の戦争責任告白  その核心部分を読みます。  
「わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。
明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。
 わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。
「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。」終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。」
1967年3月26日 復活主日 日本基督教団総会議長 鈴木正久 

主イエスは、神の子でありながら人類の罪をご自身の罪として負われ、罪なきイエスが人類を代表して、懺悔をなし、ご自身の命を献げられたのでした。ご自身の命という永遠の犠牲をささげ、罪の贖いを完成してくださったのでした。(ヘブライ人の手紙10章11~14節)
神は、イエス・キリストの十字架の犠牲において、私たち人類の罪を赦
し、救い、神の子として、永遠の命を嗣ぐ者としてくださったのです。と告白しております。  私たちは、このイエスの犠牲を聖書を通して示され、このイエス・キリストに連なり、悔改めをもって、自らを神にささげることを許されたのであります。
 主イエスは、わたしたち人類と父なる神と和解のために命をささげて
くださいました。あの十字架上においても、自らを十字架につけた者た
ちに対し、「父よ、彼らを御赦しください。彼らは何をしているのかわ
からずにいるのです。」と和解の執り成しをして居られます。
 今も神の右にあって、人類のため、わたしたちのために執り成してい
てくださいます。この世界が、私たちが執り成しあいつつ、平和に生き
ることを執り成しておられます。私たちは、このイエスの思いに私たち
の心を集中しなければならないと思います。
 互いに力を競うのではなく、力を誇示するのでなく、互いの欠けを赦
し、補い、支え合う、執り成しの心、和解の業が望まれます。それは
隣人同士だけでなく、国と国においても然りです。
 この平和聖日を覚え、神さまとの平和、世界の平和、隣人同士の 平
和を祈りたいと思います。