日本キリスト教団 東戸塚教会

2019.9.8「信仰によって愛し合う」

Posted on 2019. 9. 12, 牧師: 藤田 穰

聖書 コリント信徒への手紙Ⅰ 13章4~5節
13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。13:3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。13:6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
使徒言行録18章1~節
18:01その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 18:02ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、 18:03職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。 18:04パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。 18:05シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。 18:06しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」 18:07パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。 18:08会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。 18:09ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 18:10わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 18:11パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。 18:12ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、 18:13「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。 18:14パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、 18:15問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」 18:16そして、彼らを法廷から追い出した。 18:17すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。 18:18パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。

コリントの教会
パウロは、外国伝道の宣教師として、3回伝道旅行をしていますが、第2回の伝道旅行でギリシャのコリントという町に行きました。コリントは、とても栄えたにぎやかな町で、ギリシャ人やユダヤ人のほかにもいろいろな国の人が住んでいました。コリントには大きな神殿がありましたが、偶像が沢山ありました。本当の神さまを知らない人たちが、何が正しいか分からなくて自分勝手な生活をしていました。
パウロは1年半の間、コリントに住んで一生懸命イエス様のお話をしました。反対する人もいましたが、パウロに協力してくれる人も多く現われましたので、この町に、イエス様を信じるコリント教会が出来ました。パウロは、信仰の篤い人を指導者に立て、教会の人たちの信仰が固まったのを見て、聖霊の神の導きに彼らを任せ、次の町に旅立ちました。ところが、パウロがコリントの町からほかの町に出かけてほどなく、教会の人たちが仲間割れをしてしまいました。教会員同士でけなしたり、自分ばかり自慢する人たちも出てきました。教会のリーダーたちは、パウロに手紙を書いて相談しました。
パウロの手紙
パウロはとても心配してコリントの人たちへ長い手紙を書きました。その手紙が今日の聖書の言葉の一部です。「コリント教会のみなさん、みなさんは、イエス様を信じて神さまの子供にしていただいたのですから、仲間割れしないで仲良くしてください。」
と聞き出しました。 パウロは、更にこんなことを書いています。「どんなに上手に神さまのことを話せても愛がなければうるさいだけです。どれだけ神さまを信じていても愛がなければ無駄なことです。自分の大事な持ち物をみなほかのお友達に分けてあげても愛がなければなんの役にも立ちません。愛がなければと何回も言ってますが、「愛」って何ですか?パウロのいう愛は、「好き」というのと違います。本当の愛がある人は、意地悪されても赦します。誰にでも親切にします。決して自慢をしません。自分が得をすることばかり考えません。腹を立てません。悪いことを嫌い、正しいことを喜びます。どんなことがあっても、我慢して神さまを信じ続けます。 みなさんはどうですか?このような愛を持っていますか?なかなか難しいですね。すぐにプーっと怒るし、お友達を許してあげられないこともありますね。わたしには、出来ないと思っているかもしれません。
でも、大丈夫、イエス様が本当の愛でわたしたちを愛してくださり、その愛の恵みをわたしたちに分けてくださるからです。イエスさまは、おっしゃいました、「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である、あなたがたがわたしにつながっており、わたしもあなたがたにつながっていれば、あなたがたは豊かに実を結ぶ」(ヨハネ15章5節) イエス様という大きな愛の幹につながっていれば、その幹から大きな愛を頂いて、その愛で周りの人たちを明るくすることができます。その愛をみんなに分けてあげることができます。
イエス様は、「自分を愛するように他の人を愛しなさい」(マルコ福音書12章31節) と言われました。また、「自分がしてもらいたいことを他の人にもしなさい」(マタイ福音書7章22節)といわれました。みなさんはそのようにできますか?
イエス様はわたしたちを愛し、救うためについには十字架に架かってくださいました。このイエス様からの赦しと愛の恵みを頂いて、周りの人を愛する子どもになりましょう。
神さま、自分を愛するように、ほかの人を愛する子どもにしてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン
(子どもの礼拝 修了)
コリント伝道
パウロは、アテネ伝道に見切りをつけて、アテネから50km離れたアカイア州の州都コリントにやって来ました。コリントはエーゲ海とアドリア海を結ぶ海上交通の要所で、多くの船舶が出入りし、各国の人が集まる活気のある都市でした。しかし、その反面、偶像を拝み、迷信を生み出す宗教が存在し、倫理生活上は、風紀の乱れた町で有名でした。
パウロは、この町に1年半滞在して、コリント教会を設立します。パウロは生活のために天幕造り始めました。すると同業者の中に、アキラとプリスキラというクリスチャンがいました。彼らは、紀元49年、クラウディウス帝によるユダヤ人追放により、ローマから逃げてきた人たちでした。この後、パウロと親しく交わり、パウロの伝道を助けました。パウロは、コリントの町でもユダヤ人の会堂に入り、「イエスがキリスト(救い主)である」と福音を宣べ伝えましたが、ここでもユダヤ人の抵抗を受けましたが、会堂長クリスポが、家族と共に洗礼を受け、他の人々も次々と洗礼を受け、教会が形づくられてゆきました。
この間も、主は、パウロに幻の中でこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。…わたしがあなたと共にいる。…この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」(使徒言行録18章9~10節)と励ましを受けたのでした。
反対するユダヤ人は、ローマのアカイア総督ガリオンに、「このパウロは、律法に違反するような仕方で、神を拝むようにそそのかしています。」しかし、ガリオンはユダヤ人の宗教問題には関係しないとこれを退けました。このようにして、コリント教会は有力な教会に成長しました。パウロは、新しい伝道計画を立てるためにアンテオキア教会に帰りました。パウロが去ったのち、コリント教会は有力な信者も多かったのですが、問題を抱えており、パウロに手紙で質問してきました。これに応えたのが、コリントの信徒への手紙です。
コリント教会の抱える問題に、賜物の違いや奉仕の違いによって互いに裁き合ったり、批判したり、教会が分裂するような動きがあったのでした。これに対し、パウロが最も伝えたかったのが、コリント信徒への手紙Ⅰ13章です。 12章の終わりで、あなた方に最高の道を教えます、と語り、述べたのがこの13章の愛の讃歌でした。
この中で愛と訳されている言葉は、ギリシャ語のアガペーです。ヘブライ語では、アーヘーブという言葉で、神の愛に基礎づけられたすべての愛を示します。パウロは、この愛をギリシャ語で表すのに、「無価値な者、愛するに値しないものを愛するという意味のアガペーという言葉を使ったのです。ですから、アガペーは「神の愛」と訳したのは不十分で、「神の愛に基づくすべての愛」として読まなければなりません。ギリシャ語で愛は、「エロス」という性的な愛、「フィリア」という博愛、友愛、ストルケ(肉親の愛)という愛を意味する言葉があります。
そのような意味でアガペーの愛を捉えるならば、13章1節、「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。」どんなに力強く信仰の言葉を語っても、神の霊の賜物にいかされているのでなかったら、それは、やかましいシンバルに過ぎない。どんなに、ゴスペルソングが流行っていても、神の愛に基づく霊の賜物」がなかったら、ただの騒音にすぎないのです。神の恵に生かされていなければ虚しい音に過ぎないのです。
3節 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
 非常に厳しい言葉です。どんなに信仰的に見える行いをしても、あるいは、そのために殉死したとしても、霊の賜物に生きた愛に生かされていなければ、何の益にもならないのです。
4~5節  愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
口語訳 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない
この愛の主語を他の言葉で置き換えてみます。人間は、寛容であるでもないし、クリスチャンは必ずしも寛容であるでもありません。わたしたちは、勇気をもって、 わたしは寛容であるとは言えません。愛をわたしに置き換えると、わたしは寛容でなく、わたしは情け深くない、わたしは妬む、わたしは、自慢するし、わたしは高慢で、威張るし、わたしは無礼で相手を傷つけ、わたしは自分の利益を求め、わたしはすぐに腹を立てて、自分がされたことにはいつまでも根にもって恨むという具合になるかもしれません。私たちは、わたしたちに出来ないから、イエス・キリストの許に助けを求めたのであり、その救いによって主イエスの十字架の愛と憐れみによって許されたから今日があるのです。
ですから、私たちは、自分は、愛に欠けた者であり、罪びとであるという現実のもとに置かれます。自分は、主イエスによって赦されながら、どうして、他人が出来ないことを裁けるのでしょうか。
そして、この愛という言葉を、キリストに置き換えるとぴったりフィットします。イエス・キリストこそ愛だからです。主イエスこそ、愛の高い峰です。 私たちは、そこに達することはできないが、しかし、イエス・キリストを信ずる信仰において、イエス・キリストの愛を受けて、愛から愛に歩むことはできるはずです。そのような目標がここにあります。示されています。
パウロは、7節で、 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。と4つの愛の特色をあげています。忍ぶは包む、覆うとも訳せます。もうだめだとあきらめないのです。真実の愛は、痛
手を負い、傷つけられても、これを包み、支えるのです。主イエスの愛がそれです。このような愛は、いかなる時も信じ貫くものであり、それゆえに、望みえない状況でも希望を失わない。一切を耐えるのである。この耐える(ヒュポモネイン)は、受動的に、消極的に耐え忍ぶことでなく、試練の中にあっても、勇敢に勝利することである。
19世紀のスコットランド人の牧師ジョージ・マゼソンは19歳の時に病気で失明し、それを知った婚約者は彼の許を去ってゆきました。しかし、マセソンのその時の祈りが、「沈黙の忍従をもってでなく、聖なる喜びをもって、単に、つぶやきなき状態においてではなく、讃美の歌をもって、神の御心を受けさせ給え」と。わたしたちも、何があっても、キリストの愛に生かされ、励まされて、讃美の歌をもって、神の御心のうちに生きる者とされたく思う。