日本キリスト教団 東戸塚教会

2020.1.12「苦難の中の信仰」

Posted on 2020. 1. 14, 牧師: 藤田 穣

聖書 ダニエル書3章15~30節
3:15 今、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」3:16 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。3:17 わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。3:18 そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」3:19 ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。3:20 そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。3:21 彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。3:22 王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。3:23 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。3:24 間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。3:25 王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」3:26 ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。
3:27 総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。3:28 ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。
3:29 わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」3:30 こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。
金の像
教会学校では、先週からバビロニア帝国に連れてこられた少年ダニエルについて学んでいます。ダニエルと友人のシャドラク、メシャク、アベド・ネゴは、バビロンのネブカドネツエル王に家来として仕えました。それから何年か経ちました。
王ネブカドネツエルは、自分がどんなに偉い王様かを示すために、広い野原に自分に似せた大きな金の像を造らせました。幅3m、高さが27mもある巨大な像でした。奈良の大仏は高さ14、7m、鎌倉の大仏11mですから、大変大きなものでした。「何と素晴らしい像だ」 盛大なお祝いの式典が行われました。ダニエルの友達、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの3人も呼ばれていました。王様の命令を伝える家来の大きな声が響きます。「音楽が流れたら、皆、ひれ伏してこの金の像を拝むのだ。拝まない者はすぐに、火が燃えているかまどに投げ込まれる。」 音楽が流れると、みんな、「ははあ」とトひれ伏して金の像を拝みました。その中で、ひれ伏さずに、立ち続けていたのがシャドラク、メシャク、アベド・ネゴの3人でした。
それを知った王様は3人を連れてこさせると、怒って言いました。「お前たちはこの私が建てた金の像を何故、拝まないのだ。もう一度、チャンスを与える。金の像を拝めばそれでよい。しかし、従わなければ、火の燃えるかまどにお前たちを放り込んでやる。お前たちの信じる神でも助け出すことはできない」3人は答えました。「王様、私たちの神様は、燃えさかる炎の中からでも救い出してくださいます。もし、焼かれて命を失うようなことがあっても、私たちはほかの神様を絶対に拝みません。私たちの神様だけが本当の神さまですから」3人は、たとえ焼け死んでも、私たちの神様に従います。3人は、神さまのなさることは一番よいことだと信じていたので、自分たちの命も神さまにお任せしたのでした。
3人の言葉を聴いた王は顔を真っ赤にして怒って言いました。「かまどの中にもっと薪を入れろ。火を7倍熱くして、この者たちを放り込んでしまえ。」3人はごうごう燃え盛る大きなかまどの中に投げ込まれてしまいました。 さて、みなさん、3人はどうなったでしょうか?皆、かまどの中を見ていました。かまどを見ていた王様が、「む、む、」と言って顔色を変えました。「かまどに入れたのは3人に違いないな。しっかり縛って入れたのだな」「王様、その通りです」王様は信じられないと云う風に、顔を振って言いました。「火の中で、4人の者が歩き回っているぞ、何の害も受けていない。4人目の者はまるで神さまのようだ」
王様は、かまどに向かって、「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、出て来なさい。」と叫びました。 すると、3人が何もなかったかのように外の出てきたのです。髪の毛一本焦げておらず、火のにおいもしませんでした。
ネブカドネツル王は言いました。「おまえたちの信じている神さまが救い出してくれたのだな。命を懸けて、神に従うことを選んだおまえたちを、炎の中から救いだせる神など他にいない。お前たちの信じる神さまは素晴らしいお方だ!」そして、「シャドラクたちの信じる神様を悪く言ってはいけない。」と国中に命令を出しました。その後、3人は王様から大切な仕事を任せられ、それぞれ素晴らしい働きをしました。
祈ります。「神さま、何か、大変な出来事が起きても、シャドラクたち3人のように、神さまだけを信じることができるよう勇気をください。この寒い季節、風邪をひくことなく、元気で勉強したり、友達と遊んだりすることができますように。イエスさまのお名前によって祈ります。 アーメン」
(子どもの礼拝 終わり)

2~3のことを考えます。
バビロンに連れて来られたダニエル
BC605年、バビロンの王ネブカドネッアルがエルサレムに遠征した時、ユダからユダヤ人の多くの貴族の少年をバビロンに連れ帰った。そして、彼らの中から、優秀な少年を選び、特別に教育、訓練し、王に仕えさせたのでした。王の命令により、彼らのために特別な食物が用意された。イスラム教にハラルがあるように、ユダヤ人にはカシュルーという食物規定に沿った食べ物があります。ユダヤ人は、神の民として禁じられた食物を食べるのは自分の身を汚すことと考えていた。王に徴用されたダニエルと3人の友人は、野菜と水しか求めなかったが、健康であったという。ダニエルという名前は、「神はわが審判者なり」を意味するという。連れてこられた少年たちの中に、ユダ族出身のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの四人がいた。王の侍従長は彼らの名前を変えて、ダニエルをベルテシャツァル、ハナンヤをシャドラク、ミシャエルをメシャク、アザルヤをアベド・ネゴと呼んだ。
この四人の少年は、知識と才能を神から恵まれ、聖書や知識に優れていて、特にダニエルはどのような幻も夢も解くことができた。
さて、神はバビロン王に夢を見させ、王は思い悩み眠れなかった。バビロンの知者は、夢を解くために呼び出され、得意げであったが、王は自分の夢を思い出せなかった。王は夢の内容とその解釈を要求し、解けなければ、全員死刑にする。しかし、もし夢を言い当て、正しく解釈してくれれば、ほうびとして贈り物と大いなる名誉を授けよう。と言い渡した。知者たちは、王に夢を思い出させようとしたが、それも出来ずに殺された。
ダニエルは王に、「しばらくの時をいただけますなら、夢を解釈いたします。」と願い出て、家に帰り、仲間のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに事情を説明し、神に憐れみを願い、その夢の秘密を求めて祈った。 すると、夜の幻によってその秘密がダニエルに明かされた。ダニエルは、王の夢を解いた。2:47 王はダニエルに言った。「あなたがこの秘密を明かすことができたからには、あなたたちの神はまことに神々の神、すべての王の主、秘密を明かす方にちがいない。」 王はダニエルを高い位につけ、…バビロン全州を治めさせ、バビロンの知者すべての上に長官として立てた。 ダニエルは王に願って、友人のシャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州の行政官に任命してもらった。ダニエル自身は王宮にとどまった。シャドラクのユダヤなハナヌヤは、「主は憐み深い」である。

黄金の像
この後、ネブカデネッアル王は、自分の権力を示すために広い草原にインデアンのトーテムポールのような自分い似せた巨大な金の像を建てた、それだけで満足せずに,金の像のために「祭り」を催し、大勢の臣下を集め除幕式を行い、驚きの声をあげさせ、王の偉業を讃えさせようとした。得意になった王は、音楽が流れたときに、集まった民にひれ伏して金の像を拝むように強制したのでした。そのなかに、ユダヤ人シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人がおりました。しかし、彼らは命令を無視して、王様の神に仕えず、お建てになった金の像を拝もうとしませんでした。
これを聞いたネブカドネツァル王は怒りに燃え、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを連れて来るよう命じ、三人は王の前に引き出された。 王は彼らに言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。もう一度言う、 これから、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器を鳴らすが、音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むなら、それでよい。しかし、拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」
シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。 わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。 そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
 「必ず救ってくださる。」は、イザヤ書43章1~2節 にある言葉です。「ヤコブよ、あなたを創造された主は、イスラエルよ、あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。43:2 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」
また、詩編66篇10~12節 には、「神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された。あなたは我らを網に追い込み我らの腰に枷をはめ、人が我らを駆り立てることを許された。我らは火の中、水の中を通ったがあなたは我らを導き出して豊かな所に置かれた。」
誰の人生にも苦難や、悩みが付きまとうものです。それは、信仰者においても変わりありません。信仰は、苦難の時に、それでもなお、喜んで生きる道を与えてくれるものだと思います。
この3人の信仰の戦いは、自分の神に仕え続けることでした。いかなる境遇においてもその信仰を告白し続けることでした。しかし、生活の中で信仰が試されます。ここにあるのは金の像は巨大な偶像でした。
十戒にこうあります。「 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 (申命記5章7~10節) 彼らは、モーセの十戒を固く信じていました。
3人は、続けて王に言います。「たとえ、そうでなくとも、王よ、御承知ください。わたしたちはあなたの神に仕えず、また、あなたの建てた金の像を拝みません。」3人の信仰にとって、神が彼らを目前の危機から救ってくださるかどうかは関係がなかったのです。既に、ここにおいて、かの暴君ネブカデネッアル王は、彼らの信仰告白に打ち負かされています。
ある注解者は、この一言の中には、試練の中に生きる信仰者ヨブ的体験を見ています。「たとえ、神が燃える火の炉から救い出さなくとも」「たとえこの病気が癒されなくても」「たとえこの試験に失敗しても」「たとえ仕事がうまくいかなくても」ヨブは、「全財産と大事な子供たちを失っても」、「主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほむべきかな」と信仰を告白したのでした。 (「窮地に生きた信仰」近藤勝彦著)
亡くなられた旧約学者・左近淑(きよし)先生は、ヨブ記の1章の聖句研究の中でご自身のことを書かれています。左近先生は、ある年、受難節に入って間もなく、81歳のお母さん、続いてたった一人のお兄さんを突然亡くされました。1週間に二度、同じ家から葬儀を出さねばならなかった。
その時、先生は、ヨブ記の個所を思い起こしたといいます。「主が与え、主が取られたのだ。」という言葉と次の「主の御名はほむべきかな」という言葉、この2行の間には「無限の断絶」がある。それをどう超えることが出来るかと問われたというのです。
この無限の断絶を乗り越えねばならない、神の前への服従を経験したのです。「主が与え、主がとられたのだ」この主の前に服従するしかない。傷ついた魂が服従するなかで御名を讃美する者とされる。それには、御子の十字架の死と復活が必要である。(聖句研究 左近淑著作集より)
この3人の若者の「たとえそうでなくとも」とヨブが「主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほむべきかな」と告白できたことが奇跡ではないでしょうか。この3人は、「たとえ、神の助けがなく、死のうとも自分の信仰を捨てることはなかったのです。

この3人の若者は、王の権威に反抗したことで燃え盛る火の中で処刑されることになりました。王は炉を普段よりも7倍熱くせよとの命令まで加えた。この3人の少年は、衣服を着たまま縛られて炉に投げ入れられた。この時、彼らを連行し、火の中に投げいれた役人たちも、普段より7倍熱い火の気により焼かれてしまった。3人の運命は火をみるより明らかである。暫くして、王が炉の中を見ると、火の中を歩く3人の者と共に、神の子のような第4の者がいることを発見して驚いた。王は、3人に炉から出るように命じた。炉から出てきた3人の者は、火傷ひとつ負っていなかった。 ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。
神は果たして苦難の時に私たち人間を助けるだろうか?この質問に、ダニエルは、神は、燃え盛る炉の中においても信ずる人間を助け、どんな逆境にも人間の必要に答え給うと明言しているのです。
28節  ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」
 これは、ネブカデネッアルの信仰告白であった。彼は更に勅令を出して、この告白を公布させ、このユダヤ人の神をののしる者は、八つ裂きにされその家は破壊されると宣言したのです。
神は、ユダヤの民を見守り、その最も良い時期に彼らを救い給うた。この世の如何なる権威の王であろうと神の力に反抗することはできないことを示した。
  こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。
 試練・苦難の中での信仰を守り抜く気力、自分の信仰を考えさせられます。