「復活・死んでも生きる」 佐藤 千郎牧師
ヨハネによる福音書 20章11~18節
イースター・復活祭おめでとうございます。皆様方の上に復活の主イエス・キリストの恵みと祝福とをお祈り申し上げます。
復活祭の季節が訪れると、わたしはいつも一つのみ言葉と、その言葉に込められた厳粛さに打たれた場面を思い起こします。今年は特に復活祭礼拝での説教奉仕を依頼され、今から60年以上も前になる当時のことに、改めて思いを巡らしつつ、復活祭への歩みを重ねてまいりました。
神学校を卒業して伝道師となり、担任教師として赴任した神戸の教会での、初めての葬儀の時でした。この教会では、棺入場から葬儀が始まります。前奏が終わると、礼拝堂入口中央の観音開きの扉が開かれ、伝道師を先頭に、ご遺影(お写真)、棺の順で入場し、講壇前に作られた祭壇にご遺影を飾り、棺を安置します。
この時、先頭を行く伝道師が、本日の礼拝招詞の言葉として選んだ、ヨハネ福音書11章25,26節のみ言葉を、「イエスは言われた」という部分を省いて、声高く朗読しながら、ご遺影と棺の列を先導していきます。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」、
言うまでもなく、今はこの言葉を無条件に口にできる人は、この地上には誰一人としていません。 そう声をかけることが出来るのは、わたしたちの罪の贖いのために、十字架に架けられ、死んで墓に葬られ、三日目に十字架の死から復活された主イエス・キリスト、このお方だけです。
そうであるのに、60年前のあの日、伝道師になりたての私は、悲しみや寂しさだけでなく、ある人は悔しさをにじませながら、またある人は怒りを伴いながら、愛する者の葬儀に参列している人々に向かって、葬儀の冒頭、「わたしを信じる者は死んでも生きる。このことを信じるか。」そう語りかけながら、参列者の背後から通り過ぎたのです。伝道師の務めとはいえ、弱冠24歳の私にはあまりにも重いものでした。しかし、今から思うと、これは、真の伝道者、主の慰めを届ける牧会者となるべく旅立つ者への門出を祝う、厳しくも恵みに満ちた神様からのはなむけでした。私とっては、今もこの時の場面が、復活信仰に生きる信仰者のリアル、言葉を換えて言えば、信仰者に約束された、隠くれた実存の表れであり、キリスト教の慰めと希望の原点です。
葬儀の冒頭、声高に朗読されたみ言葉は、主イエス・キリストが生前、すでに墓に葬られ四日もたっていた、愛する兄弟ラザロの死を悲しむ姉妹たちに語りかけられた言葉です。しかし、棺を先導する伝道者によって朗読される言葉は、主イエスのお言葉であると同時に、主イエスを救い主と信じ、キリストの証人として生き、やがて召され今は棺に横たわる死者からの、慰めと希望への招きの言葉でもあります。私は今も印象に残るひとつのエピソードから、そう思うのです。
エピソードの主はデートリッヒ、ボンヘッファー。名前もこれから紹介するエピソードもご存知の方がおられることでしょう。ドイツの若き牧師・神学者で、将来を嘱望されていたのですが、ヒットラーの独裁政治に反対し、抵抗運動に加わったことで捕らえられ、二年間獄中にあったのですが、ドイツが敗戦を迎える直前、三週間前ともひと月前ともいわれていますが、ヒットラーの特別命令により、刑務所から強制収容所に移され、4日後に絞首刑にされた人物です。殉教した時39歳でした。これから話すエピソードは、これまで多くの人が語りまた書いている内容を孫引きしたものを、私なりに再構成したものであることをご了承頂きたいと思います。
絞首刑が執行される朝、看守が「ボンヘッファー、出て来なさい」と呼ぶ声がしました。それは名指しされた受刑者にとって、死刑執行の日が来たことを告げる合図でもありました。すると、ボンヘッファーはそばにいた受刑者に「私にとっては最後です。しかし、また、始まりでもあります。」と言って、看守と共に刑場へ向かっていきました。ある人はこの時のボンヘッファの言葉を「今日は、わたしにとって地上での最後の日です。しかしそれは、新しいいのちの始まりの日でもあります。」と紹介しています。ボンヘッファにとって最後となったこの言葉は、死の恐怖におびえる残された受刑者たちにとって、ひとたび失われた平安と希望を取り戻す、慰め深い言葉として、約一カ月後に実現した解放の日まで、受刑者たちの間で語り伝えられたということです。これこそ、主イエスご復活後、私たちの中で生まれて続けている復活信仰に生きる信仰者のリアル、そう言うことが、許されるのではないでしょうか。 誤解を恐れず断言すると、神に召される信仰者は皆、「死んでも生きる」という神の真実の証人・キリストの復活の証人に他ならないのです。
加えて、今朝特に、心に留めたいことは、20世紀になって、一人のキリスト者が死の直前に、それも理不尽ともいえる殉教の死の直前に、そばにいた一人の受刑者につぶやくように語った慰めと希望の言葉が強く示唆していることは、この言葉の出発点が、主イエス・キリストの十字架と復活の出来事と、今朝わたしたちが耳にしている「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」と言う主イエスの言葉にまで遡るということです。
今日の聖書の箇所に思いを巡らすと、マグダラのマリアという一人の女性の行動と振る舞いもまた、主イエスが生前に語られた数々のみ言葉に結び付いていきます。
マグダラのマリアの物語は二つの場面に分かれます。新共同訳聖書の小見出しで申しますと「復活する」と「イエス、マグダラのマリアに現れる」です。その中で、後半の「イエス、マグダラのマリアに現れる」の部分が、今日の聖書の箇所です。この箇所は「マリアは墓の外に立って泣いていた」という記述で始まっています。この言葉に注目し想いを巡らすと、復活信仰に生きる信仰者のリアルが浮かび上がってきます。
なぜ墓の外に立って泣いていたのか。20章1節まで戻り、その日の朝からの出来事を項目的にたどると、主イエスの御遺体が葬られた墓に最初に行き、墓が空っぽであることを弟子たちに告げたのがマグダラのマリアであること、ペトロやその他の弟子たちも来て空っぽの墓を確認したことですが、の記述の終わりでヨハネ福音書は、見落としてはならない言葉を書き加えています。
<20章9~10節>引用 家に帰ったこの弟子たちどうしたのか。 <19節>引用
弟子たちは恐怖のあまり家に鍵をかけ、中に閉じこもっていたのです。しかし、「マリアは墓の外に立って泣いていた」。実に寂しく悲しい風景ですね。
しかし、これに続く言葉を深く味わっていると、彼女の悲しみがどれほど深かったかその深さが読み取れますが、しかしまたそこには、彼女が、去りがたく墓の外で泣いていたその理由も読み取れます。一言で言うと、彼女はきっと、生前の主イエスのみ言葉に思いを巡らし、姿が見えなくなったし主イエスに語りかけていたのでしょう。
ヨハネ福音書10章には、主イエスを良い羊飼いにたとえた話が出ています。そこでは「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで、連れ出す。」「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊も私を知っている。……わたしは羊のために命を捨てる。」と語られています。
また、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」、というみ言葉も、マグダラのマリアはすでに知っていたに違いありません。
マリアは心に留めてきた主イエスの言葉の数々を思い出しては、墓から消えた主イエスに思いを巡らし、語りかけていたことでしょう。
わたしたちも理不尽な苦しみの中で、「あなたは共にいると約束されたではありませんか」と祈り、主イエスに問いかけるではありませんか。私たちにもあるこの気持ちを重ねて、素直に聖書を読むとそう思えてくるのです。
やがて決定的な時が来ました。主イエスが羊の名を呼ぶ時のように「マリア」と呼びかけられたのです。すると空っぽの墓を覗いていたマリアはその声を聞いて振りむき、ラボニ・先生と言います。この時彼女は、十字架に架けられ墓に葬られた主イエスが、今も生きておられることに得心し、即ち、主イエスが生きて声をかけておられることを理解し納得し、泣きながら思いめぐらしていたみ言葉に深く慰められている自分に気づいたのです。それから、彼女は嬉々として弟子たちのところへ行き、「『わたしは主を見ました。』と告げ」、復活の証人として歩み出したのです。
人は死を避けることが出ません。必ず死と向き合います。その時、主イエスの十字架と復活が、主イエスのみ言葉を刻む人の心に、約束された永遠の命を照らし出すのです。
私たちは、「死んでも生きる」という、このとんでもない神のメッセージとそこに込められた真実に出会うために、今日もみ言葉へと招かれ、復活祭を祝っているのです。
イエスは言われた「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 わたしたちは「信じます」と答えます。そして告白します、否、すでに告白しているではありませんか。「われは聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの甦り、永遠の生命を信ず。アーメン。」と、今朝も、一同で告白したではありませんか。わたしたちはすでに、聖霊によって復活信仰へと導かれ、「死んでも生きる」キリスト者として生かされているのです。