日本キリスト教団 東戸塚教会

2024.5.19「教会の出発」

Posted on 2020. 3. 29

「教会の出発」 牧師 藤田 穣
(使徒言行録2章1~13節)

聖書 使徒言行録2章1~13節
02:01五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 02:02突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 02:03そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 02:04すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 02:05さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 02:06この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 02:07人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 02:08どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 02:09わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 02:10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 02:11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 02:12人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 02:13しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

今日は、ペンテコステ(聖霊降臨日)の礼拝です。
イエス・キリストは、十字架で死んだ3日後、死より復活し、弟子たちに現れました。そして、40日にわたって彼らに現れ、「神の国(神の支配)について教えられました。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」といわれました。それは、ヨハネ福音書14章で「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 この方は、真理の霊である。…(この)聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ福音書14章16~17、26節)
使徒言行録1章5節 「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
同8節 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた。これがイエスの昇天である。イエスが復活して40日目のことでした。
弟子たちは、復活の主イエスの命じられた通り、皆集まり、ユダの代わりとなる使徒を選び組織を整え、祈りつつ約束の聖霊降臨を待ちました。
さて、五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていたとあります。五旬祭、50日の祭りと云われる日です。それは、過越祭の翌日の除酵祭から数えて7週目のことで、7週の祭りとも言われました。この日は、小麦の刈入れ、収穫の初穂を捧げる感謝の日で、過越しの祭り、仮庵の祭りと並んでユダヤの3大祭の一つで、ユダヤ人の男子はエルサレム神殿の巡礼を義務付けられていました。エルサレムの当時の人口は、20~25万人と言われていますが、3大祭りの時の巡礼者は、200~250万人に上ったと言われます。
申命記16章、に七週の祭りについて記されています。「 あなたは七週を数えねばならない。穀物に鎌を入れる時から始めて七週を数える。 そして、あなたの神、主のために七週祭を行い、あなたの神、主より受けた祝福に応じて、十分に、あなたがささげうるだけの収穫の献げ物をしなさい。 こうしてあなたは、あなたの神、主の御前で、すなわちあなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所で、息子、娘、男女の奴隷、町にいるレビ人、また、あなたのもとにいる寄留者、孤児、寡婦などと共に喜び祝いなさい。 あなたがエジプトで奴隷であったことを思い起こし、これらの掟を忠実に守りなさい。」(同書16章9~12節)
小麦の収穫を喜びなさい。「あなたがたは、かってエジプトの奴隷であったことを思い起せとあります。この日は、エジプトの奴隷から解放されたイスラエルに対し、神はシナイ山でモーセを通して十戒を授けられたのがこのペンテコステの日でした。十戒の初めに、「「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 」(出エジプト記20章2~3節)これが、イスラエルの掟の根本でした。
この日に、皆が一つになって集まっていた。後の15節に、朝9時とあります。これは、近くのユダヤ人は、エルサレム神殿に詣で、遠くのユダヤ人はエルサレムに向かって祈る祈祷の時刻でした。弟子たちは、泊まっていた家の屋上の間で一緒になって祈っていたのでしょう。
2節以下、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
聖霊が降ったとき、二つのしるしが伴いました。一つは、耳で聞こえたしるし、激しい風が吹いてくるような音でした。二つ目は、目で見るしるし、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ一人一人のうえにとどまった」ことでした。
風とか息とかが聖霊の象徴でした。主イエスご自身もユダヤの指導者ニコデモとの会話で、「『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネ福音書3章7~8節)と言われました。その風の音が聖霊が降ってきたしるしでした。
「炎のような舌が分かれ分かれに現れ一人一人のうえにとどまった」これも聖霊降臨のしるしでした。旧約聖書に、火による神の臨在が記されています。モーセが神の山ホレブに来たそのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。 モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、 神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」(出エジプト記3章2~5節)この時の出会いにより、モーセは、出エジプトの大任を果たすことになったのです。バプテスマのヨハネ言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。…その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」(ルカ福音書3章16節)舌という言葉は、言葉を意味します。
さて、聖霊が降ったとき、弟子たちに何が起こったのか。
一同は聖霊に満たされた、それは、弟子たちのみならず聖霊降臨を待ち望んでいたすべての人たちにでした。聖霊に満たされた時、彼らは聖霊の支配下に置かれるということです。すると、彼らは聖霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
1章8節 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」とありました。彼らは語り出しました。

現代人は聖霊の働きを信じているだろうか。聖霊降臨は、イエス・キリストを復活の主として、神を神と信じている人たちの群れ、教会においてだけ起こることであり、他の場所では起こりえない。即ち、イエス・キリストを主であると告白する信仰の共同体にのみ、聖霊降臨の出来事は起こるのです。それは、イエス・キリストにおいてなされる新しい創造の出来事なのです。旧約聖書創世記に人間創造の記述がある。
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記2章7節)とある。人の創造は、聖霊が臨んだ命の息が吹き入れられた出来事である。神の命の息によって人間は想像された。しかし、最初の人アダムの神への背反によって人間は神の園から追放された。それにも拘わらず、時を経て神は罪の赦しのため、御子イエスを遣わした。その十字架の犠牲による贖いにより私たち人間を救うために死に、復活されたのでした。それは、新しい創造の時でした。
イエスはユダヤの指導者ニコデモにお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。 人は、生まれたままではなく、聖霊によって新たに生まれなければ、あらたに創造されなければ救われることはできないのです。(ヨハネ福音書3章5~7節)

聖霊に満たされ、聖霊のバプテスマによって一つとされた一人一人が聖霊に満たされ。聖霊の支配下に置かれた弟子たちは、「聖霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」のでした。他の国々の言葉、異言を語ったとされます。異言
コリントⅠ書12章10節、「 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。 これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。」しかし、パウロは、「 わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。14:19 しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。」と語っている。(コリントⅠ書14章18~19節)
弟子たちは、普段は、アラム語やギリシャ語で話していました。しかし、彼らは聖霊が語らせるままに語り出したのです。
エルサレムには天下のあらゆる国、ローマ世界に住んでいる離散していたユダヤ人(ディアスポラ)から帰って来たユダヤ人や信心深いユダヤ人が住んでいたが、 この物音に大勢の人が集まって来た。三大祭りの時ですから、2百万人以上の人がエルサレムに来ておりました。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
7節以下 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
皆が自分の生まれた国の言葉で弟子たちの話を聞いたのです。
人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、彼らはこの後、ペトロの説教を聴いて、3千人もの人が洗礼を受けました。そして、この人たちは、このペンテコステの福音を携えて再び、地中海世界に散ってゆきました。この人々があちこちで福音を伝え、後に、パウロが伝道する頃には、キリストの福音を受け入れる素地ができていたのでした。
13節 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
このように、信じない人たちの方が圧倒的に多かったのです。
しかし、弟子たちに聖霊が与えられました。この時、初めて彼らは、キリストの十字架と復活の意義を知りました。イエス・キリストの十字架の赦しと復活による永遠の生命の保証がわかったのです。十字架の前に彼らは弱虫で意気地なしでした。しかし、聖霊により力を与えられたとき、彼らは、キリストの真の証人となりました。ペンテコステ、収穫の初穂の祭り、この日、聖霊は、キリストの共同体に、世界の刈入れの初穂をあたえ、世界の各国の言葉で、異邦人をも刈入れる保証をしてくださいました。こうして、キリストを信じ、福音を語る弟子たち共同体は、初代教会として出発したのでした。
現代に生きる私たちも、聖霊の力により、主の証人として忠実に福音の言葉を証したいと願います。