日本キリスト教団 東戸塚教会

「教会の始まり」 牧師 藤田 穣
(使徒言行録2章36~42節)

聖書 使徒言行録2章36~42節(新約216頁)
02:36だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」 02:37人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。 02:38すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。 02:39この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」 02:40ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。 02:41ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 02:42彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

十字架上で亡くなられたイエスさまは、3日目に甦られ、ペトロたち弟子たちの前に現れました。そして、「私は、天の神さまの許に帰りますが、あなたたちを助ける聖霊を送ります。貴方たちは、聖霊が降るまで、祈って待っていなさい。」そう仰って天の神さまのもとに帰られました。弟子たちは、毎日、祈って待っていました。それから、10日経った日、その日は五旬節(ペンテコステ)というお祭りの日で、町は賑わっていました。弟子たちは、この日も皆で一つの家に集まりお祈りしていました。その時です。
天から、ゴーッと風が吹くような大きな音がして、弟子たちがいた家全体に響き渡りました。それから炎のようなものが現れて、弟子たち一人一人の上に留まりました。イエスさまの約束通り、天から聖霊がくだったのです。弟子たちは、自分の話したことのない、いろいろな九人オ言葉で、神さまのことを話始めました。大きな門御音を聞いて、町に集まっていた多くの国の人が様子を見に来ました。
弟子たちが自分たちの生まれた国の言葉で話しているのでびっくりしました。

その時ペトロが立ち上がり、「皆さん、聞いてください。私たちは、聖霊の力を頂いて、話しているのです。あなたたちが十字架につけた神の子イエスさまは、甦りました。私たちは、甦えったイエスさまにお会いしました。神さまは、私たちの救い主としてイエスさまをお遣わし下さいました。しかし、あなたがたは、イエスさまを信じようとせず、十字架につけて殺してしまいました。でも、神さまは、イエスさまを蘇らされました。聖書に約束されている通りです。そして、お約束通り、聖霊を私たちに注いでくださいました。皆さん、救い主イエスさまを信じてください。」
人々は、心を打たれて、「私たちは如何すれば良いのでしょうか」ペトロは応えました。悔改めて、イエス・キリストのお名前によって洗礼を受けなさい。そうすれば、罪は赦され、神の子どもとして、皆さんにも
も聖霊が与えられます。」
ペトロの話を聞いて。この日、3千人もの人がイエスさまを信じました。信じた人たちは一緒に集まって、ペトロたちからイエスさまの教えを聞いたり、お祈りしたり、神さまを讃美するようになりました。こうして、初めての教会が誕生しました。
イエスさまを信じた人たちは、皆で助け合いながら生活し、心を一つにして集まり、救い主イエスさまに感謝して、讃美しながら、礼拝しました。彼らの姿は、周りの人たちから好意を持たれ、尊敬されるようになりました。かみさまは、とてもお喜びになり、毎日、救われる人々を加えてくださいました。

神さま、私たちにも聖霊が与えられることを感謝します。世界に平和を来たらしてください。イエスさまのお名前によって祈ります。                  アーメン

先日、ガウディが建設を始めたスペイン・バルセロナのサグラダファミリア(聖家族贖罪教会・スペイン東部の原語、カタルーニャ語)。カトリック教会についてのTV特集を見ました。既に、建設を初めて140年、もう少しで完成に至りそうです。
現在、降誕のファザード、受難のファザードがほぼ、完成しており、残すは栄光のファザードとなる。ファザードは、建物正面部を指すフランス語である。サクラダファニりアは、降誕、受難、栄光の3つの建物、18基の尖塔(最大138m)から構成される。完成すると栄光のファザードが正面玄関となる。教会の正面玄関は、復活の主、栄光のファザードである。教会の歴史の玄関も復活の主から始まった。
今朝の聖書箇所は、教会の誕生、起源が何かを記しています。
過越しの祭りの日、主イエスは、十字架に架かり死亡しました。その3日後、イエスは死から蘇り、40日にわたり、弟子たちに現れ、神の国について語られました。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。  1章5節以下 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」…01:08あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。 …弟子たちは、エルサレムの2回屋敷に集まって、…心を合わせて熱心に祈っていた。 …百二十人ほどの人々が一つになっていた。

2章1節以下 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていた。 五旬祭は、ユダヤの国の三大祭りの一つで、過越しの祭りの翌日から50日めの祭りでした。ギリシャ語の50日、ペンテコステと言われました。歴史的には、イスラエルの民がエジプトを脱出して50日目にシナイ山で、神さまからモーセに十戒が与えられた記念の日でした。また、この日は、農業的に収穫祭(小麦の収穫、初穂をささげる祭り)を祝う日でもありました。
イエスが天に昇られて10日間、弟子たち120名の者が2階屋敷に集まり、心を合わせて祈っていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響き渡りました。そして、炎のような舌が分かれ、分かれに現れ、1人一人の上に留まりました。すると、一同は聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出しました。この言葉に、祭りに集まっていた離散のユダヤ人たちが反応しました。エルサレムの当時の人口は、20~30万人と言われます。それに対し、祭りの巡礼者は、200万人とも言われます。当時は、地中海諸国は、ローマ帝国の支配のもとにあり、パックス・ロマーナ(ローマの平和)といわれる200年も続く平和の時代、多くのユダヤ人も地中海諸国に住み、15の国々から来た離散のユダヤ人たちが、自分の生まれ故郷の言葉で話を聞いたのです。
2章7節以下 呆気にとられ、人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。いったい、…れはどういうことなのか」…しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
14節以下 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。」ペトロの説教です。
16節以下 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。『神は言われる。終わりの時に、
わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
ペトロは、ヨエル書3章1節の言葉を引用、付け加えます。 終わりの時、聖霊降臨の日に、聖霊を受けた者は、預言する。福音書記者ヨハネは、「がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ福音書14章26節)
22節以下 イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。 このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。…あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない。 あなたは、命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』02:30ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』と語りました。 神はこのイエスを復活させられたのです。

主イエスは奇跡や不思議なわざやしるしを行い、神から遣わされた御子であることを証明しました。神は、その計画通り、あなた方に引き渡されたのですが、あなたがたは御子イエスを十字架につけ殺しました。しかし、3日後、神は、イエスを死から復活させられました。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。 …だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。人々はペトロのメッセージに心を撃たれたのでした。人々はペトロや他の弟子たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。彼らは、自分たちのメシア殺しという大罪を指摘されて震え上がってしまいました。
02:38すかさず、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」
彼らのメシア殺しの罪が赦される第1の条件は、「悔改める」ことでした。これは、自分お罪を反省するということではあり
ません。悔改めるのギリシャ語メタノエオーは、心を180度変化させる、神に反する生き方を180度変化させて、神を信じ、イエスを救い主として信じて生きる生き方に転換することです。罪赦されると、罪を無いことにする、眼をつぶるということではありません。イエス。キリストの手の釘跡が消えないように、犯した罪は消えない。赦されるとは、罪あるがままに
受け入れられ、愛される事である。
第2は、イエス・キリストの名によって洗礼を受けることです。回心する事だけでは駄目なのす。イエス・キリストと共に自我、エゴが死んで、キリストと共に死から復活し、永遠の聖名に与るのです。こうして、各自の罪が赦されて神の子とされ、永遠の生命、復活の命が与えられるのです。それだけでなく、神から賜物として聖霊を受けることが出来ます。聖霊全体を神とキリストから与えられるのです。イエス・キリストは、聖霊を通していつも私たちと共におられ、働いてくださるのです。
ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
こうして、教会は始まり、2000年後の今に至るのです。